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衒学衒学ゥ!
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・最近考える事といえば、専ら「本棚のスペースをいかにして空けるか」に尽きる。
その事しか考えていない。まるで本棚整理ロボットだ。



部屋という空間は、それだけで一つの孤立系をなす。
本棚から本が消えるという事は、どこか他の空間に本が出現するという事だ。
自分が一つ幸せになったり、何かを得たりする度、
その裏で他の誰かに一つの傷がつくように。



不思議なものだ。
こうして無造作に積み上げ、荷造り用の紐で一纏めにすれば、
それだけで唯のパルプの塊、本来の姿を取り戻すのに、
これでも昔はそれが人類の叡智の一端や、
美しく悲しく不条理で手に汗握る物語を繰り広げていたような気がしていた。



ネオンが零れる街で、情報を買う。
親指の爪ほどの大きさのそれには、幾千幾億の頁の文字を刻めるだろう。
先史以来、人間の歴史の悠久、その全てを、
このプラスチックの欠片は打ち明ける事が出来るかもしれない。
手に乗せても何も感じない、まるで羽根の様な歴史だ。
そよ風にすら震わされてしまうような黒羽。



クロゼットに本を埋めた。
横たえた本は心なしか重く感じられた。
自身を支える力を無くして、生きる力を無くした死体の重みがある。
時間は進むことを止め、逃げ場をなくし、亡骸を覆い、
クロゼットはそんな気味の悪い質量で溢れ、その扉で目を塞ぎ、
本棚には今日も本が通り過ぎる。どこか外から、クロゼットの闇箱へ。
部屋は重くなる。部屋は死んでゆく。
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・「Rockは死んだ」、ある一部のアーティストの間で標語にようになっている言葉だ。

マリリン・マンソンは "Rock id dead"と歌い、トム・ヨーク(Radiohead)は「ロックなんてゴミ音楽だ!」と吐き捨てた。
もうすこし時代を遡ると、ジョニー・ロットン(Sex Pistols)も「ロックは死んだ」と言ってピストルズを脱退した。1978年のことだ。
確か「あの頃ペニー・レインと」だったか、映画のセリフには「ロックは瀕死」みたいな事が言われていた気がする。
どうやらロックが死んだのは最近の話ではなく、
彼はその誕生以来死と再生とを定期的に繰り返しているらしい。


もしかしたら、ロックはもう死んでいて、ここ何十年かは冷たい墓石の下に本体は眠っていて、我々がMTVやロッキンオンで見ている全てのロックは夢か幻、なのかもしれない。
ロックは音楽の範疇だけでなく、芸術、文化、果ては歴史の潮流そのものに穿たれた楔であり、その痕跡は必ずやいつかの未来、教科書や伝記の紙の上に炙り出されるだろう。
何をしたかは知らないけれど、顔か名前は、知っている、そんな人物たちと、本の背で糊を同じくするかもしれない。だから死んでも必ず復活論が出て、何度でも蘇りその燃える金色の翼を現前させるのだ。



・エルヴィス・プレスリーは古典になりつつある。
別に彼をロックと同じ俎で議論する気はない。プレスリーはロックだ、いやロックじゃない、違う。どちらでもない、言うなれば新古典だ。
プレスリーがどんな生き方をし、それが時代にどう干渉し、斬りかかり、それとその後のロックが持つ刃とに一種の輪廻のようなものを感じたか感じないか、それは分からない。古典になっている、と言うのは、彼は灰になっているからだ。

プレスリーという人間は灰になってだいぶ経つ。彼の周りにあった、そして生じたもろもろの形を持たぬものは、それ以降も数十年にわたって赤々と燃え続けていた。今でも世界中で燻ってはいるものの、全ては灰燼に帰した。ライブを終えた彼のジャンプスーツのような、白くくすんだ灰になった。

ロックがまだその赤い舌を這わせ、時に火の粉を巻き上げて踊るのは、今や心許ない燃えかすを、人々が必死で焚き付け、煽っているからだ。きっと。
ここは雪山のロッジ、外は強風だ。今まさに台頭している音楽、これから芽吹く音楽は晴れた雪山に吹く色とりどりの風で、吹雪を含む風も少なからずあるかもしれない。
外は冬も半ばなのか春が来ているのか分からない。しかし部屋の真ん中、ロックの灰はちろちろと燃えて暖かい。人々は暖を取り、妖精の涙のような赤い雫を焚き付け続ける。外では風の音が空気を斬り、時代の王位を得ようと窓をガタガタ鳴らす。


炎は消える。小屋の中は静まり返る。寒さが透徹する。
ロックが古典になる日、風がドアを開け放す。
常夜
・眠らない23時の街を歩く人々は、昼間の彼らとはどこか違う。

まるで人間の格好をした彼らの霊魂を見ているかのようだ。
彼らには、健全なる肉体に健全なる精神が宿ったりする事はあるのだろうか。
どうも想像する事ができない。

休日の昼、大都会のスクランブルは人で溢れかえる。
そんなときふと思うのだ。この人だかりをなす存在たち、
交差点に複雑な紋様を編んで思い思いの方向へ進む一人ひとりは、
果たして全員が自分と同じ人間なんだろうか、と。
見た目が人間であるだけで、実は他の誰かに遠隔操作されているだけのアンドロイドや、
仮初めの肉体を得たこの世ならぬものも、ここにはいるのではないか。
他人に関心を微塵も払わないこの街を苗床にして。

深夜の街には人が殆ど居ないが、そんな思いを抱いてしまうのは、
重く垂れ込めた闇夜の帳の所為だろうか。
それとも、行き交う人がみなどこか、地上に居場所を無くし始めているような、
ここからは見えない世界をしっかと見つめているような、目をしている所為だろうか。



中年のカップル。辺りを見回しながら車道に大きくはみ出して進む二人はもちろんいくばくかのアルコオルを摂取しているのだろう。
オレンジの光だけが支配する大通りを、車は摩擦の全くない氷を斬るスケートの刃のように淀みなく滑っていく。
タクシーはブレーキはおろかハンドルを切る素振りすら見せない。
街灯が舐めていくウィンドシールドの向こうの運転席には誰も座っていないみたいだ。そうであっても何の不思議もない。
なにやら禍々しいほど強い力に引かれてどこまでも一直線に進む車を見送る事に業を煮やした女性は、しまいには猛スピードで幹線道路を下るゴミ収集車に手を挙げ、連れの男性に「あんなスピードで走っていたんじゃ、止まってくれないよ。」と窘められていた。

猛スピードだろうが低スピードだろうが、ゴミ収集車が止まるのはゴミ置き場以外に無い、スピードの問題じゃないだろうという馬鹿正直な横槍も、普段は密林の水辺に棲む動物のように路肩をそろそろと進む車が自分の隠れた本能を蘇らせ、法定速度の倍ほどの速さでオレンジの草原を駆け抜ける姿を見せられると、魔法をかけられたみたいに硬さも鋭さも失ってしまうのだった。



人間は夜を明るくするべきではなかったのだ。
長い歴史の間、闇夜に溶けるようにして身を潜めていたもの、太陽の下では決して露わに出来ないものが、今や見目形を曝け出し、跋扈することで夜の静けさの端を引き裂いている。
サロンの一室で密やかに繰り広げられる夜毎のグロテスクな宴を、両開きの扉を開けて見てしまった時のような、後ろめたさと嫌悪感と好奇心の混交に、夜の街では何度も出逢う。

朝、宴は全て片付けられ、騒擾は空間の何処にも見出せず、そこにはただ陽光の中での生活を、昼間の姿の演技を始める人々の作る、物憂い揺らぎがあるだけだった。
夜の敷布はどこまでも裂けていくことはなく、きっと端の綻びがそれ以上進まないように編まれているのだろう。
オレンジの街燈に照らされた夜は、水を湛えた陶器の甕に僅かに入った罅にすぎないのかもしれない。水は漏れることがない。
これまで通り、人は光の下で自己を演じ、闇の中で本能に遊ぶ。
・人間を見ることは面白い。


アクセス解析は、どのような検索ワードでこのページに人が訪れるかを調べる事ができる。

フォームに言葉を入れるという事は、知りたい事があるという事。滾々と湧く知識の泉の滴を希求するという事。
検索ワードを覗くとき、ネットワークの夜霧の向こうに座る架空の誰かの心を見る気がして、興味深さと後ろめたさが綯い交ぜになる。

その瞬間に思いついた検索ワードは、きっと知識の泉の汀に生じた泡沫であり、
程なくして弾ければその作り主でさえ永久に忘れてしまう儚いもの、
その染みをデータとして見る事は、まるで本人の目の届くはずの無い場所にある痣を偶然に発見してしまう事のようだ。
だから本人にはあえて伝えない。その術もない。
あなた、この前の午前3時ごろ、「頭蓋骨のヤング率」で検索してたでしょう、
なんて言った所でどうしようというのか。


ヤング率:物質に力をかけた時のひずみ具合を決める定数。
頭蓋骨のヤング率は知らん。知りたくも無い。カルシウムの摂取量で変わるんじゃない?



・「今週の月曜に、『骨 ヤング率』で検索した奴がいる。なんだこれ?」

はい、僕です。
・嵐の前には風が来る。

郊外の商店街には高層ビルと呼べる代物は一つとしてなく、
開けた空には風にたなびく雲が、挽きたてのコーヒーに落としたミルクのように忙しく渦巻いていた。

商店街を通り、そろそろ乱雑な軒並みに感じる情緒に食傷が勝る頃、美容院に辿り着いた。

広く見せるように計算された内装がガラス張りの壁越しに見える。
その洗練された佇まいは、雨よけのネットや幌を延べた軒先に商品を盛り上げた周囲のあらゆる店とコントラストを成している。

今年に入ってからこの美容院に通い始めた。
シャンプーはいつもいい香りがするし、常軌を逸した髪型にもされないのである程度美容師に任せても安心できるし、何より気取っていないので中に入りやすい。


今日、今後のわが身の振り方が決まった。
最低でもこの先2年は今日敷かれた道路の上を、多少交通ルールは逸脱するにせよ、そろそろと進んでゆくだろう。
あと半年で、僕はこの街を出てゆく。
別の街に住めば、わざわざこの長く続く商店街を歩くような事はしなくなるかもしれない。
ここに通うのもあと2回、多くて3回か。


その人の良さそうな金髪の美容師は、シャンプー後の重く濡れそぼった髪を摘まんで持ち上げながら言った。マスカットの香りと水飛沫が辺りに煌く。
「じゃあ、ソフトモヒカンっぽくしましょう。」

どんな方程式を解いたらその解は導けるのか、門外漢の自分には皆目見当もつかなかったが、余計な口を挟むのも無粋だと思ったので仕上がりを待つ事にした。



日本語の長所は、どこまでもニュアンスを曖昧に出来る点にあると思う。
水彩絵の具の色の乾かぬうちに、水を含んだ絵筆で淡く、淡く滲ませるように。
「ソフトモヒカンっぽい」髪型には最早モヒカンの片鱗すら見出せず、
「頭頂部の髪の長さが、その横よりも若干長いような気がする」頭が鏡に映るばかりだ。


切りくずを落とす為にまたシャンプーをした。本日2回目のシャンプーだ。
いや、美容院に来る前に身だしなみとして髪を洗ったから3回目か。
泡が目に入らぬように目を瞑ると、シャワーの雑音で現実は引き剥がされる。
眠るときよりはっきりと、眠るときより暗く。
人は生まれる前、こんな音と風景に囲まれているのではないだろうか。
いつともなく始まり、突如として終わるシャワー。始まる光と終わる闇。自由と放縦は已み、人生というあらゆる束縛と未来が揺れる触手で赤子を絡めとろうとする。


ガラスの扉の向こうの街には、今にも雨が降りそうだった。
街は不安げで、雨が落ちるのを今か今かと待っているようだった。
産まれるのを待ち、変わる事を待ち、
そしていつか死ぬ事を、人も心のどこかで待ち続けている。
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プロフィール
HN:
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/11/25
職業:
自由人
自己紹介:
麒麟さんが好きです。
でも象さんはもっと好きです。

やっぱり麒麟さんが好きだ。
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