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「 言語学 」
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・一日中ラジオを聴いています。15時間くらいでしょうか。
よく考えたらすごいですよね、15時間中、曲の時間が全体の3割くらいだとして、
あとの10時間半はずっと誰かに喋りかけられてるか、知らない人の話を聞いてるか、ですからね。
しかもラジオを聴かない時って、絶対誰かと喋る時なので、起きている間はずっと誰かの話を聞いていることになります。
だからといって別になに、ってわけでもないんですけどね。なんか村上春樹にこんな話あったな。僕は人の話を聴き続けた、みたいなやつ。金星は、とても寒い。と彼は言った。だっけ?

・とりあえずMP3プレーヤーのラジオだからJ-WAVEとInter-FMしか入らない。NHK-FMは大体クラシックがかかっているから寝ます。平井堅の言ってることがめちゃくちゃです。

・Inter-FMではpublic service announcementという3分くらいの番組を1日に数回やります。

ここまでで自分の書きたいことが分かった人はすごい。結婚しましょう。


この番組はたぶん名前のとおり、公共サービスの案内の番組だと思います。何で「たぶん」なのかというと、時間によって言語が違うからです。フィリピン語だったり韓国語だったり、何種類もあります。

たまにスペイン語でやるんですが、問題はここだ。アナウンサーのテンションが異様に高いのです。
巻き舌の持続時間がハンパない。「いすぱにょ〜ルルルルルルルルルルルルあ!」みたいな感じ。さすが情熱の国だ。
でも内容はたぶん、ごみの分別だとか、不用品の回収やりますとか、区役所に来てくださいとかそんな感じだと思います。どこにもそんなテンションを受け止める余地はないんです。
すごいなあのおっさん。地なのかな。それとも極東の地でやっと掴んだ自分だけの舞台なんでしょうか。



・というわけで、好きな番組の時間帯に会議とか入るとイライラしてしまい、折角ガンダムを観ようとして走って家に帰ってきたのに、普段そんなこと全然しないくせにこの日に限って「外にご飯食べにいこう!」と母親に言われてがっかりした記憶を思い出した、という話でした。
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・家庭教師先での事、計算があまりに面倒で発疹が出来そうだったので、
健康のためにペンを投げて部屋をぼんやり見回すと、
机の傍らに原稿用紙が置かれているのに気が付いた。

よく見るとどうやら反省文のようだ。
当然ながらニヤニヤしながら読むのだが、
あまりしげしげと見るのも憚られるので、
あくまで関心は生徒の君にあるのだよ、問題解いてないけど、
という視線を背中に一心に送りつつ、ちらちらと桝目に並んだ文字を追う。
嗚呼忙しい。

真っ先に目に飛び込んできたのは「忖度」という言葉である。
中学生の反省文なのに。おまえは中島敦か。
文もなかなか達者である。実物をお見せできないのが残念だ。

反省文をニヤニヤしながら読んだのは、
橡も彼と同じ年の時に反省文を書いた事をちょうど思い出したからである。
しかし内容はとても幼稚で、目の前の文章とは宝石と果汁グミ位の違いだ。
「ごめんなさい、もうしません、3年3組 橡」みたいな内容だったか。

自分の反省文を思い出して気づいた。
反省文というのは、だいたいがどうでもいい事で書かされるものなのだ。
と思って彼のを見ると、案の定授業中に手紙を回したとか煩かったとか、
話のネタにするべく運命付けられた内容だった。
なのでここでネタにしている。
反省文にとっては大願成就だろうが、彼には迷惑かもしれない。
彼が見ませんように。

「悪の華」で有名な詩人、ボードレールは中学校を退学させられたが、
その理由は授業中に回ってきた友人からの手紙を教師に渡さなかった為らしい。
つくづく日本は平和な国だと思う。
教育ってすぱらしいですね。
反省文ごときで難しい言い回しを披露するのは勝手だけど、そこは足し算だよ。



*中島敦

書く文章がやたら難しい、と橡が思ってる人。
ほかに居るかもしれないがあんまり知らない。
代表作は「李陵」「山月記」など。
She
・台風だ台風だと世間で騒がれているが。

海の向こうではハリケーンに「カトリーナ」とか女性の名前をつけ、
「まったくお転婆なお嬢様だぜHAHAHA」と余裕の姿勢である。
(ほんとはめさめさ被害が出るので笑ってる場合じゃないんです)


しかし、ここで問題なのは、
日本の台風だから日本の女性の名前をつける必要があるという事で、
実際試しに今接近しつつある台風のために名前を2,3個あてがってはみたのだが、
その度に同じ名前をもつ知り合いが思い浮かんでしまい、
申し訳なさと後ろめたさの混淆したむず痒さを覚えてしまうのであった。
冷たい羽で首筋を撫でられるような、快いのか不快なのかよく解らない感覚よ。

彼らは毎年のように、しかも国内中にテレビで連日放送され連呼されて、
何か思うのだろうか。やはり。
「OH・・・カトリーナ・・・君もあのハリケーンのように、今夜も忙しく駆け回っているんだろうね・・・」と、昔の思いに浸ってしまう男は場所も時代も超えてゆく。

すぐに過ぎ去ってゆくもの。
それにつけるのは、無機質な記号がふさわしい。
「4号」では、センチメンタルになるための一分の隙間すら与えられない。
何かに名前をつけるとは、呼ばれる度に思い出したいからだ。思い出させたいからだ。
・「およげ!たいやきくん」の歌は、鯛焼きのモノローグから始まる。
 自分たちは毎日毎日、鉄板で焼かれて嫌になってしまう、という内容である。
初めてこの歌を聞いた時は歌詞をそのまま受け取ってしまい、「鉄板で焼かれる」という事が「毎日」反復される事を憂いていると思っていた。
「毎日毎日、継母に虐げられながら奴隷のように働くのは嫌になっちゃうわ」という具合に。

しかしよく聴いてみるとそれでは違和感を感じる。その鯛焼き(歌っている鯛焼き)にとって、「鉄板で焼かれる」のは一回しかないはずだ(衛生面に対する常識的な配慮がその鯛焼き屋にあれば)。鯛焼き全体で見れば焼かれるのは毎日の事であるのは確かなのだが、それは例えば自分が、「人間は毎日の様に死んでいくから嫌になっちゃうな」と歌うのと同じで、何かがおかしい。

この違和感はどこから来るのか。鯛焼きが嘆いているのは「辛い事(やはり鯛焼きでも鉄板で焼かれるのは辛かろう)の反復」ではない。全ての鯛焼きが等しく辿らねばならない終わり、いわば「宿命」とでもいうものである。 人間は恐らく有史以来ずっと自分の宿命について嘆き続けてきたし、毎日おびただしい数の鯛焼きが餡を詰められるのだからその中で自分の運命を憂う鯛焼きが出てきてもおかしくは無い。
となると、感じた違和感の正体は、「自分の宿命を、あたかも出来事の反復を倦む時のように嘆く」事に対する違和感だったという事になる。



・それに続く歌詞では、遂に堪り兼ねたその鯛焼きが鯛焼き屋の主人との諍いの果てに、鯛焼き屋を脱出して海に逃げる。 鯛焼きが我慢ならず、逃げ出したかったのは「日常」からではなくて「宿命」からである。それは、シンデレラが継母の家から逃げ出すのとは訳が違う。宿命を星に擬えることがあるが、それは星空のように世界に蓋をし、またどれだけ歩き続けても同じ場所で輝きを失わないからだろう。

はじめて泳ぐ海の底は、えもいわれぬ心地よさを湛えている。
お腹の餡は、拭える事の無い運命の重み。
屋台の隅で灼熱の大地を待つ事と、青い海に身を横たえる事の間には大きな違いがある。
しかし、もう少しも泳がないうちに皮は水でふやけるだろう。どこにいても、辿り着く先は同じだった。

この場所から逃げ出すのは、どこかへと出られると思っているから。
ここよりも、少し広いところ。そして、ここと全く同じところ。
・どうでもいいが、寝不足なので日記の選別基準がものすごく曖昧、というか何が面白いか判らなくなってきた。


Date: 2007年1月15日 01:22

・最近厭になった言葉があったが、何だか思い出せない。「もったいない」だったか。ちょっと違う。確かに「もったいない」もあまり好きな言葉ではない。
ああ、あれだ。「若いときの苦労は買ってでもしろ」だ。
嫌いな言葉というのは、大抵はその言葉を頻繁に使う人間が、自分の嫌いなタイプであるから嫌いになってしまう、というパターンだ。坊主憎けりゃ袈裟迄憎い、の発想かもしれない。別に言葉はそいつのものではないけれど。
思うに、苦労なんてしないに越したことは無い。人間は弱いから、なまじ苦労をするとそれを慰めに使ったり、勲章にしてぶら下げたりしてしまう。
苦労というものは文字を見て解るとおりネガティブなもので、そこに救いもなければ利益もない(はずなのだが、上の言葉を使う人間はメリットのある ものに対しても苦労なんて名詞を当て嵌めたりしている。二重に腹立たしい)。そんなものを使って自分を大きく見せようとするのは甚だ滑稽だ。裸で街を歩く より酷いかもしれない。

とはいえ、偶には自分の苦労を皆に解って欲しいとか、もっと自分を理解してほしいだなんていう誘惑に負けてしまいそうになる。結局みんな劇場に居 たいのだ。しかもこっち側でなくあっち側に。バルコニーの上からモノローグを、哀しくも愛しいモノローグを振り撒きたいと願って。



・最近思う。多様性を認めるという事は、会話の閉鎖と沈黙を覚悟しなければならない。
どういうことかというと、恋愛とはこうだ、ああだ、こうするべきだ、と無駄に熱い議論が交わされているとする。そこに誰かが、「そんなの、いろん な人がいて、いろんな恋愛があるんだから、それでいいじゃん」とか言うとどうなるか。議論はそこで終わってしまう。こう言われたら反論のしようがない。
飲み会の席でこれをされたら堪ったものではない。次の話題を探すのに気まずい時間を経なければならない。言う本人は丸く収めようとしての意見だ とは思うが、別に丸く収めたくて恋愛話をしている訳じゃない。実存が本質に先立つ、ちょっと違う、手段のためなら目的は横に置いておく、というか。

アメリカ大統領選では候補がそれぞれ、同性愛に賛成/反対、中絶は、銃は、と明確に意見を打ち出す。自分は同性愛だろうが中絶だろうが、個人の勝 手だろうと思う。そう、別に個人の自由なのだ。そんな事ホントは誰も解っているのに。でもそうやって簡単に片付けようとするのは、戦争が泥沼化しているか ら核爆弾で一掃、に考え方がなんとなく似ている気がして寒気を覚えてしまう。
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