忍者ブログ
「 生物学 」
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

あけましておめでとうございます。
今年の目標は、このブログをもっと更新することと、いきものがかりのボーカルの子の可愛さを彼女に解ってもらうことです。
なんだよいーじゃん可愛いじゃんかよもー!

このブログでのキャラをすっかり忘れてしまいましたが、更新が滞っている間にも「全然役に立たないライフハック」シリーズをつくろうと思ってはいました。
ライフハックとかちょっとブームですし。
でもまったく思いつかないのでこんなに間が空いてしまった訳です。

それが今日偶然思いつきました。エレベーターの中でです。2010年は飛翔の年になるかもしれません。

それでは今日の「全然役に立たないライフハック」!

・橡がいつも乗ってるエレベーターでは、お辞儀をするとエレベーターの中でもラジオが入る。

嘘つきました。
全然役に立たないとか言っておきながら、すごく役にたってます。
リスナーからのお便りの内容がすごく気になるのに、エレベーターが来ちゃって乗らなきゃいけなくなった時とか、これでもう聞き逃すこともなくなりました。さっき発見したばかりなんですけどね。

ポイントはお辞儀の角度です。この前のオバマ大統領のように深々と腰から直角に曲げるのがコツ。廊下で同僚とすれ違った時の「ういっす」程度ではザーザーのまんまです。

全部のエレベーターで通用するかはわかりません。とりあえず××大学××学部××号館のエレベーターでは成功してます。どのエレベーターかわからないって?1個しかないから大丈夫さ!


エレベーターにはなぜか鏡がついているものですが、さっきラジオ波受信中の自分の姿を鏡で見たら、何かすごくお腹が痛い人っぽく見えました。そんな前傾姿勢なるわー確かに。

というわけで、エレベーターに監視カメラついてたら恥ずかしくて困るよね、という話でした。
PR
・変な形の雲を見つけると、地震の予兆かと思ってしまう。

最近は天気自体が変なので雲がおかしいのも道理なのかもしれないが、
先日も不自然に形の整った雲が東から西へ渋滞しているのを見た。
誰かがヘラで整形して、ドミノ倒しをする前のように息を止めて並べたみたいだ。自然のカオスっぽさが全然足りない。カオスを超えて終末が近づく・・・・!



・東京に大地震が起こると電気水道ガス電話、その他もろもろ止まりそうなものは全て止まるような気がする。当然うちにある電磁調理器はスイッチが入らず、棚にあるデンプンをα化できない、つまりパスタや乾麺をポリポリかじって飢えを凌ぐ憂き目に遭う。
パスタの破片が喉に刺さっては救助を待たずに死んでしまうかもしれない。
あらゆる意味で生き残る為に昨日は乾パンを買ってきた。
正確に言えば、近くのスーパーで大安売りしていたので、買って帰る道すがら、
「防災防災。決しておやつではない」と理由を後付けした。実は昨日は防災の日である。これは今思い出した。



・一時間後、本を読んでいて口寂しくなったので乾パンは半分ほどになった。
乾パンをあまりおいしくしすぎるのは良くないと思う。

でも、もし食糧難のときこの乾パンが底をついても、
この日の事を恨んだりせず、調味料かなにかで命を継ぐ事にしよう。
焼肉のたれで何日も過ごした人もいたと聞くから、愛用しているケチャップなら2週間はもつに違いない。元気も出そうだ。トマトだしね。
・死にたい、と本気で思う人に、例えば生きろとか、楽しい事が待っているとか、
そんな言葉は全く役に立たない。今ははっきりそう言える。

ちょうど30分前、橡は猛烈な眠気に苛まれていた。
いつの間にか視界が暗くなる位の眠気だ。自分が目を閉じている事にすら気づかないのである。

こんな時には我慢しても無駄で、かと言ってまだ眠るには早く、
よしこんな時はもっと眠くなるような事をしようと思って外へ出た。

構内のある一画は広場と、それを囲むように垣根とベンチ、そしてその外側は世界樹のようにうねった太い枝を数え切れないほど持つ大木が、夜に向かって葉を広げている。
ベンチの一つに寝転がり、音楽を聴きながら灰色の曇り夜空を風が裂いて紺の裏地をのぞかせているのをぼんやりと眺めた。
とは表現したものの、実際の所星の無い夜空に見るものなんか何もない。呆けてはいたが眠くはならなかった。集中を求められないのが逆によいのだろう。現代はどこもかしこも文字で溢れている。私たちはいかなる場合もそれをなぞり解読しなければならない。

4曲目が終わったので跳ね起きた。そして今まで寝ていたベンチを見、

凍り付いた。7月なのに。



・街灯の乏しい灯りに照らされたベンチは、背もたれが落とす影で角の部分が暗くなっている。
そして、今、確かにそこを這っていったのだ、
闇よりももっと黒い、小判くらいの大きさのが。

あれはまさしくアレである、その名を口にするのも憚られる、アレだ。
声も出なかった。

無言でシャツやズボンを念入りにバタバタとはたくと、追われているわけでも無いのに夜道を駆け出した。
眠気?そんなの一瞬で消え失せましたよ。
まだ這い回っているような感触が、ふとももに来たかと思えば次は二の腕と、
体を隈なく舐めては消える。
死んでしまいたい。



・その感触は、部屋に戻った今も消えず、
それは自分の心が感じさせているのか、もっと小さいものが本当に這い回っているのか、
解らなくなってしまった。ああああああ

その1から読む



・前々から、「痛い」と「面倒くさい」は、どんな理性も論理も超えてその人を突き動かす力だと思っていた。
この二つの前では、意思も希望も、超強力電磁石(リニアモーターカーを浮かすような磁石だ)の前に置かれた鉄釘のように、なす術を失って引き寄せられ、ビターン!と衝突するより他無い。
痛みと苦しみを忘れるネペンテス。速く、遠くまで、疲れる事なく移動する鉄の匣。磁力に抗う、人間の力と知のすべて。

しかし、だ。もし親知らずの退化の話が本当ならば、痛覚と大儀とはもしかしたら遺伝子まで変えてしまうかもしれない。
遺伝子を傷つけるという事は、血脈を傷つけるという事である。
自分に起きた変異が脈々と受け継がれる事によって、数千年後には今居るホモ・サピエンスとはまったく違った能力をもった者が生まれるだろう。
そうなったら、誰の手も届かない、茨の繁みの奥の奥へ進むそれらを、人間はただ見つめるしかない。ささくれを舐めながら。

自分が新人類を生み出すきっかけとなってしまう。それは当たり前に起きている事には違いないが、よく考えると生物の系譜に関わる深刻な事で、
そして少し光栄な事でもある。

 

・現在、人類の進化はアフリカのみに起源を持つ、つまり世界中どこにいるヒトでも、祖先を辿るとアフリカに住んでいたヒトに集約される、という説が有力である。
その説を受け入れるとすると、現在いるヒトの祖先は数十人とか、あるいはもっと少数に限定できるだろう。もしかしたらアダムとイブのような二人が特定できるかもしれない。

タイムマシンが実用化されたら、人類の祖先を訪ねて廻りたい。
彼/彼女はどんな顔をするだろうか。自分が数百万年後の人類全ての起源になっていると知ったら。誇りに思うだろうか。責任を感じて、子を成す事を止めてしまうだろうか。

 

・「ドラえもん」という漫画では、2008年にタイムマシンの理論が発明されるとしている。
未来まであと数十分である。進化は刻一刻と進み、機械に満たされた巨大な深海に自らを適応させるため、ヒトは少しずつ形を変えていく。

・深海魚の話になったのは、落ち葉が早い小雪のように舞い散る或る秋の日のこと。



・深海魚って、光の届かない深海にいるから眼が殆ど無くて、
そうそう、口がやたら大きいんだよね、プランクトンとか一気に飲めるように。

(11月の澄んだ空は、陽光を弱める事無く大地に振り撒き、
翻る落ち葉を輝かせている。)

やる事が極端なんだよ、頭じゃなくて口じゃん、あれ。
もう、必要ないのは全て切り捨てるみたいな姿勢。ストイックだね。



・生きるために必要なもの。それだけを選び出し、他を棄てる。
何千年、何万年をかけて、無意識にそう身体を作ってきた。

進化。生活に最低限必要なモノ以外を、全てゴミの日に出して、
出来た究極の「生活感の無い部屋」のように、
無機質で研ぎ澄まされている彼らの身体。

尾骶骨にそっと触れてみる。昔ここに尻尾があったという碑に。
尻尾が退化したのは、それが生きるために必要ないと判断されたからか。
文明が産み出したドアや引き戸に挟まれる尻尾が続出したか、
あるいは仰向けで寝る習慣が一般的になったからかもしれない。



・昔、親知らずは退化している、とまことしやかに言う人がいた。
我々の世代ではみんな親知らずが生えたが、
みんな(といって生徒たちを見回し、)
の世代は生える人と生えない人がいるだろう?

そもそも、上顎・下顎第三大臼歯というものは
(これが正式名称のようだ)
親元を離れてから生え始めるから親知らずと呼ばれるのであり、
「生徒」の段階で生える人の方が少数派なのだ。
そして、周りの人は相変わらず親知らずに苦しんでいる。
大人はいつでも嘘ばかり。自分の都合で事実曲げる。
と、グレて盗んだバイクで走り出し、たりはしなかったが。



・さて、ここで問題にするのは、現実がどうかという事ではなく、
「親知らずは退化している」という事が仮に起こっているとしたら、
それは何故か?という事である。

ここに、口の異様に大きかったり、眼が触手の様に伸びていたり、
緑の光を妖しげに放ったりする深海魚と、
町の魚屋の軒下に横たわっているような普通の魚が居たとしよう。
深海魚の主食は自分より小さい小魚やオキアミ(深海にいるのか?)
やプランクトンといった類だろう。
母なる海には、これらの小さき者が視界を蔽うように漂い、
絶え間無い食物連鎖が泡立つ水の中で繰り広げられている筈だ。

しかし、ここは光も届かぬハデス。
光合成を頼りに生きる植物プランクトンも、
それを捕食する者もいない。
捕食行動は生の基本であり、それを効率よく出来ない者は、
他者に食物を奪われ死んでしまう。
そんな競争の中で生き残った異形の魚は、
勝ち得た力をゲノムに乗せて次世代に託す。


「どうしておばあちゃんは緑色に光ってるの?」
「おまえをおびき寄せるためだよ」

「どうしておばあちゃんの目はにょろにょろ伸びてるの?」
「おまえを見つけるためだよ」


「どうしておばあちゃんの口はそんなに大きいの?」

「それはね、おまえを食べるためだよ」



・そうだとすると、親知らずの退化はどんな淘汰の結果だろうか?
親知らずがあるという事によって生存の危機に晒される確率が、親知らずが無い事に比べて高くなるとはどうしても思えない。
むしろ、老人になって歯が無くなってどうしようもなくなったときに移植できるから便利と聞いた。真逆ではないか。
そんなに役に立つのに、「痛い」という感覚を避けることの方が生きる上で重要なのだろうか。まあそうに決まっているか。痛いより痛くない方がいい。真理だ。


(その2につづく)
HOME → NEXT
忍者ブログ [PR]
 △ページの先頭へ
Templated by TABLE ENOCH