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「 ロックが古典になる日 」
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・「Rockは死んだ」、ある一部のアーティストの間で標語にようになっている言葉だ。

マリリン・マンソンは "Rock id dead"と歌い、トム・ヨーク(Radiohead)は「ロックなんてゴミ音楽だ!」と吐き捨てた。
もうすこし時代を遡ると、ジョニー・ロットン(Sex Pistols)も「ロックは死んだ」と言ってピストルズを脱退した。1978年のことだ。
確か「あの頃ペニー・レインと」だったか、映画のセリフには「ロックは瀕死」みたいな事が言われていた気がする。
どうやらロックが死んだのは最近の話ではなく、
彼はその誕生以来死と再生とを定期的に繰り返しているらしい。


もしかしたら、ロックはもう死んでいて、ここ何十年かは冷たい墓石の下に本体は眠っていて、我々がMTVやロッキンオンで見ている全てのロックは夢か幻、なのかもしれない。
ロックは音楽の範疇だけでなく、芸術、文化、果ては歴史の潮流そのものに穿たれた楔であり、その痕跡は必ずやいつかの未来、教科書や伝記の紙の上に炙り出されるだろう。
何をしたかは知らないけれど、顔か名前は、知っている、そんな人物たちと、本の背で糊を同じくするかもしれない。だから死んでも必ず復活論が出て、何度でも蘇りその燃える金色の翼を現前させるのだ。



・エルヴィス・プレスリーは古典になりつつある。
別に彼をロックと同じ俎で議論する気はない。プレスリーはロックだ、いやロックじゃない、違う。どちらでもない、言うなれば新古典だ。
プレスリーがどんな生き方をし、それが時代にどう干渉し、斬りかかり、それとその後のロックが持つ刃とに一種の輪廻のようなものを感じたか感じないか、それは分からない。古典になっている、と言うのは、彼は灰になっているからだ。

プレスリーという人間は灰になってだいぶ経つ。彼の周りにあった、そして生じたもろもろの形を持たぬものは、それ以降も数十年にわたって赤々と燃え続けていた。今でも世界中で燻ってはいるものの、全ては灰燼に帰した。ライブを終えた彼のジャンプスーツのような、白くくすんだ灰になった。

ロックがまだその赤い舌を這わせ、時に火の粉を巻き上げて踊るのは、今や心許ない燃えかすを、人々が必死で焚き付け、煽っているからだ。きっと。
ここは雪山のロッジ、外は強風だ。今まさに台頭している音楽、これから芽吹く音楽は晴れた雪山に吹く色とりどりの風で、吹雪を含む風も少なからずあるかもしれない。
外は冬も半ばなのか春が来ているのか分からない。しかし部屋の真ん中、ロックの灰はちろちろと燃えて暖かい。人々は暖を取り、妖精の涙のような赤い雫を焚き付け続ける。外では風の音が空気を斬り、時代の王位を得ようと窓をガタガタ鳴らす。


炎は消える。小屋の中は静まり返る。寒さが透徹する。
ロックが古典になる日、風がドアを開け放す。
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