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衒学衒学ゥ!
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・深海魚の話になったのは、落ち葉が早い小雪のように舞い散る或る秋の日のこと。



・深海魚って、光の届かない深海にいるから眼が殆ど無くて、
そうそう、口がやたら大きいんだよね、プランクトンとか一気に飲めるように。

(11月の澄んだ空は、陽光を弱める事無く大地に振り撒き、
翻る落ち葉を輝かせている。)

やる事が極端なんだよ、頭じゃなくて口じゃん、あれ。
もう、必要ないのは全て切り捨てるみたいな姿勢。ストイックだね。



・生きるために必要なもの。それだけを選び出し、他を棄てる。
何千年、何万年をかけて、無意識にそう身体を作ってきた。

進化。生活に最低限必要なモノ以外を、全てゴミの日に出して、
出来た究極の「生活感の無い部屋」のように、
無機質で研ぎ澄まされている彼らの身体。

尾骶骨にそっと触れてみる。昔ここに尻尾があったという碑に。
尻尾が退化したのは、それが生きるために必要ないと判断されたからか。
文明が産み出したドアや引き戸に挟まれる尻尾が続出したか、
あるいは仰向けで寝る習慣が一般的になったからかもしれない。



・昔、親知らずは退化している、とまことしやかに言う人がいた。
我々の世代ではみんな親知らずが生えたが、
みんな(といって生徒たちを見回し、)
の世代は生える人と生えない人がいるだろう?

そもそも、上顎・下顎第三大臼歯というものは
(これが正式名称のようだ)
親元を離れてから生え始めるから親知らずと呼ばれるのであり、
「生徒」の段階で生える人の方が少数派なのだ。
そして、周りの人は相変わらず親知らずに苦しんでいる。
大人はいつでも嘘ばかり。自分の都合で事実曲げる。
と、グレて盗んだバイクで走り出し、たりはしなかったが。



・さて、ここで問題にするのは、現実がどうかという事ではなく、
「親知らずは退化している」という事が仮に起こっているとしたら、
それは何故か?という事である。

ここに、口の異様に大きかったり、眼が触手の様に伸びていたり、
緑の光を妖しげに放ったりする深海魚と、
町の魚屋の軒下に横たわっているような普通の魚が居たとしよう。
深海魚の主食は自分より小さい小魚やオキアミ(深海にいるのか?)
やプランクトンといった類だろう。
母なる海には、これらの小さき者が視界を蔽うように漂い、
絶え間無い食物連鎖が泡立つ水の中で繰り広げられている筈だ。

しかし、ここは光も届かぬハデス。
光合成を頼りに生きる植物プランクトンも、
それを捕食する者もいない。
捕食行動は生の基本であり、それを効率よく出来ない者は、
他者に食物を奪われ死んでしまう。
そんな競争の中で生き残った異形の魚は、
勝ち得た力をゲノムに乗せて次世代に託す。


「どうしておばあちゃんは緑色に光ってるの?」
「おまえをおびき寄せるためだよ」

「どうしておばあちゃんの目はにょろにょろ伸びてるの?」
「おまえを見つけるためだよ」


「どうしておばあちゃんの口はそんなに大きいの?」

「それはね、おまえを食べるためだよ」



・そうだとすると、親知らずの退化はどんな淘汰の結果だろうか?
親知らずがあるという事によって生存の危機に晒される確率が、親知らずが無い事に比べて高くなるとはどうしても思えない。
むしろ、老人になって歯が無くなってどうしようもなくなったときに移植できるから便利と聞いた。真逆ではないか。
そんなに役に立つのに、「痛い」という感覚を避けることの方が生きる上で重要なのだろうか。まあそうに決まっているか。痛いより痛くない方がいい。真理だ。


(その2につづく)
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・家庭教師先での事、計算があまりに面倒で発疹が出来そうだったので、
健康のためにペンを投げて部屋をぼんやり見回すと、
机の傍らに原稿用紙が置かれているのに気が付いた。

よく見るとどうやら反省文のようだ。
当然ながらニヤニヤしながら読むのだが、
あまりしげしげと見るのも憚られるので、
あくまで関心は生徒の君にあるのだよ、問題解いてないけど、
という視線を背中に一心に送りつつ、ちらちらと桝目に並んだ文字を追う。
嗚呼忙しい。

真っ先に目に飛び込んできたのは「忖度」という言葉である。
中学生の反省文なのに。おまえは中島敦か。
文もなかなか達者である。実物をお見せできないのが残念だ。

反省文をニヤニヤしながら読んだのは、
橡も彼と同じ年の時に反省文を書いた事をちょうど思い出したからである。
しかし内容はとても幼稚で、目の前の文章とは宝石と果汁グミ位の違いだ。
「ごめんなさい、もうしません、3年3組 橡」みたいな内容だったか。

自分の反省文を思い出して気づいた。
反省文というのは、だいたいがどうでもいい事で書かされるものなのだ。
と思って彼のを見ると、案の定授業中に手紙を回したとか煩かったとか、
話のネタにするべく運命付けられた内容だった。
なのでここでネタにしている。
反省文にとっては大願成就だろうが、彼には迷惑かもしれない。
彼が見ませんように。

「悪の華」で有名な詩人、ボードレールは中学校を退学させられたが、
その理由は授業中に回ってきた友人からの手紙を教師に渡さなかった為らしい。
つくづく日本は平和な国だと思う。
教育ってすぱらしいですね。
反省文ごときで難しい言い回しを披露するのは勝手だけど、そこは足し算だよ。



*中島敦

書く文章がやたら難しい、と橡が思ってる人。
ほかに居るかもしれないがあんまり知らない。
代表作は「李陵」「山月記」など。
・夜の交差点、向こうから渡ってくる人をひらひら躱しながら、
なんか忘年会って感じしないなあ、来週あたりからなんじゃない?
という会話に、なるほど確かにそんな気はしないと肯いていたが、
横断歩道を渡りきると、サラリーマンが蹴り合っていたので、
やっぱ忘年会シーズンか、そうっすね、という見解で大団円を迎えた。



・ここは個室で、背中側も前も壁で仕切られている。
会話だけが御簾の向こうの月のように漏れ出ずる、
のは普通の状況であって、酒がその場にあると状況は異常になる。
こっちも大声で喋り、笑い声もけたたましいにも関わらず、
会話は一字一句漏れなく聞こえてくる。それがあんまり可笑しいので
火種になり、姦しさは加速し、夜も更けていくのも止まるようだった。
ばかやろう、このやろう、なに言ってんだ、
声は紛れも無く壮年の女性、女性に壮年という言葉は不適切かもしれないが、
その言い回しはまさにオヤジのそれで、やっぱり壮年と呼びたい。
幼時は男女の区別がつき難いが、年を取ると再び性差は狭まるのだろうか、
背中の向こうが非常に気になり、覗きたい、あそこに頭は嵌らない、
ケータイのカメラならいけるか、いやシャッター音が、
聞きつけたらあの勢いで罵倒されるぞ、それは泣く、
間違えて入った振りすれば、それいいな、
しかしアルコール条件下における記憶の保持は極めて脆弱で、
別の話題で笑いが大火災を起こしているうちに、忘れていくのだ。
ここにしかない世界、この時間だけの世界、
酒や、そして恐らくドラッグも、それを創り出す力がある、
それは異常な事だと思う。
・口笛の周波数は高く、人間や生物や植物や自然が出す殆どの音と違う。
その為口笛はそれらの音と干渉する事なく伝播するので、口笛は遠くまで聞こえる。


よし。これでいつアルプスの少女が孫になっても不安は無い。
別に雲は人を待っているわけじゃないと思うし。



・「昔ギリシャのイカロスは・・・」の歌の話題になった、なんでも音楽の教科書に載ってるらしかったが、何の事だか分からなかった。
イカロスといえばギリシャ神話に出てくる、人工の翼で空を飛んで太陽に近づきすぎ、羽を留めていた蝋が融けて墜死したイカロスだ。
あまりメインキャラではないと思うのだがやたら知られている。父親のダイダロスの方が他キャラとの絡みも多く、話への貢献度は息子の比ではない。どこに差が生まれたのだろう。


件の歌、1番の歌詞はこうだ。
「昔ギリシャのイカロスは/蝋で固めた鳥の羽/両手に持って飛び立った/雲より高くまだ遠く/勇気一つをともにして」

勇気。
まるでイカロスは勇気を出して飛び立ったかのようだ。
ないない。そういう話ではないぞ。
ダイダロスが翼を作ったのは、ミノス王によって自分と共に囚われの身となった息子を逃がす為で、脱獄には確かに勇気が必要なのかもしれない。
しかしイカロスが「雲より高く」飛んだのは、単に空を飛べたのが嬉しかったからだ。調子に乗っていただけなのだ。

他にもイカロスを題材にしたものには、イカロスと勇気を結びつけるものが目立つ。
たとえ無駄な事と分かっていても驀地に進む勇気・・・
もしくは、行きたくても決して辿りつけない処(太陽)へ、それでも向かってゆく・・・
そうした話は美しい。件の歌は憂いを帯びたメロディと相俟って、蝋細工の様に美しい。

イカロスは若かった。若くて向こう見ずだった。
何も目指さず何処へも進まなかった。愉しみだけを光の様に浴びて堕ちた。
人は若さだとか純真とか、果ては放埓といったものまでも、
蝋で塗り固めて美しく見せようとする。
そんなものは太陽の下で融けてしまえばいい。
・言葉がうまく紡げない。

出口、いや口じゃない、それが生じる頭の中で既に、穴が絞られるように流れが悪くなる。
言葉は生まれる瞬間に炸裂する。花火だ。頭の中の花火。誰の目にも、自分にすら見られる事のない花火。

こんなときは、自分が自分の体の幅ほどしかない透明なチューブの中をずっと這っている気分になる。
真横には1センチも動けず、前か、振り返る事のできない後ろに這う。這い続ける。
手をぺたぺたつけて、皮脂でチューブを曇らせて、もぞもぞと、舌を噛み切りたくなる程もどかしい速さで。
チューブの外ばかりがよく見えるのだ。自分の体はろくに見えもしない。


眠れば言葉と思考の世界は終わる。逃げられる。
その先は海の汀、二人の釣り人が岸に座って一本釣りをしている。
ディズニーの映画に出てくるような仕草で、交互に竿を引っ張り、勢いよく魚を後ろに飛ばす。
休み無く淀みなく。魚は海にうじゃうじゃいるのだろうか。釣り人はまるで機械のように、釣竿を上げ下げ繰り返す。竿を振り下ろす。引っ張りあげる。魚が猛烈なスピードで真後ろに発射する。糸が蛇のように撓る。針が海を襲う。
魚は正確な間隔で後ろに飛んでくる。一列に並んだ羊の群れが、次々に柵を飛んでくるみたいに。



その光景を後ろで見ていた自分を、夢は見過ごしてくれなかった。
後ろに飛んできたテグスの先。いつの間に魚篭に入ったか、魚は消えて卵型に曲がった針があるばかり。
針の返しが左から右から交互に顔を捉えて、そのまま前へ。


青く暗い。深海のような朝だった。
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年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/11/25
職業:
自由人
自己紹介:
麒麟さんが好きです。
でも象さんはもっと好きです。

やっぱり麒麟さんが好きだ。
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