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衒学衒学ゥ!
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・水くくるとは!


Date: 2007年03月16日 01:51

・昨年の12月20日のこと。年の瀬だった。献血をした。

初めての採血、その感覚が忘れられず、2週に一遍は来ようと思っていたものの、血液を抜くという事は想像以上に大事らしく、再び全血の献血をするには数ヶ月待たねばならなかった。


その期限が今年の3月14日で切れた。

「あの吸引感をもう一度味わいたい」とか「ホワイトデーに、真っ赤な血を献上しよう」とか、思いは巡る。

勇み足で会場に入ったものの、財布に入れていたとばかり思っていた献血カードが無い。おかしい。赤いカードは目立つ。橡の財布に鎮座する赤いカードといったら、銀行のキャッシュカードとクイズゲームのカード、美容室の会員カードにラーメン屋のポイントカードくらいだ。つまり赤は最大派閥なのだが、十字のマークが献血カードに、他のカードとの差異を与えている。はずだ。


中規模のハリケーンにでもなったつもりで部屋を荒らして探したが、献血するごとにポイントの溜まるカードと、後日送られてきた血液検査の結果の葉書しか見つからなかった。まるで神隠しに遭ったかのようだ。朝晩と違って昼間だけは暖かい春の日差しは柔らかに部屋に流れ込み、その光に浴してついに見つかる事のなかった抽斗を何度も開けては、中身を出して仕舞ってをお呪いのように繰り返した。


あーちょっとカード、無くしちゃったみたいなんですよね。前もここで献血やったんで、記録たぶん残っていると思いますけど。

そう言えば良かったのではないか、と思いながら、台風直撃後のおざなりに片付けた部屋で本を読んでいたらどうでもよくなてしまった。「しっかり食べて、健康な血を作るのよ!橡」と思って朝からカレー(グリーンカレーのレシピにあったココナッツミルクを水で誤魔化したら、辛さが中和されず大変な事になった)を食べたのに。人間というものは、ときに自分の考えを、拍子抜けするくらい簡単に方向転換できるものだ。


それともう一つ。14日に血を抜く理由があった。一刻も早く血を抜く、ホワイトデーというこの日に、のほかの理由が。

「健康な血」を残したかったのだ。
真っ赤で純粋な血を。



・その真意は、今日(15日だから正確には昨日)に繋がる。

まあ、なんというか、1日でラーメン8杯食べた。

以下目録。

「一蘭」(上野)ラーメン(ねぎ多め)
「京都銀閣寺ますたに」(日本橋)ラーメン
「斑鳩」(九段下)ラーメン
「翔竜」(北千住)翔竜ラーメン(背脂4倍)
「武骨外伝」(渋谷)つけそば小
「五行」(西麻布?)こがし味噌
「もちもちの木」(新宿)中華そば
「中本」(新宿)冷やし味噌大盛り

この間にはいろいろなドラマがあった。ありすぎたがその思いは堰を切り、奔流を言葉に押しとどめるのは今の自分には不可能なので思いつくに任せて箇条書く。


・ラーメンをあまりに多量摂取するのは危険。今回の企画では、被験者のほぼ全員にラーメンのオーヴァードーズが原因と考えられる症状が現れた。「体がふわふわする」「話す言葉が支離滅裂」「倦怠感」など。

・最後の方は「しょっぱいかしょっぱくないか」しか解らなくなっていたが、それでもラーメンはとても美味しい食べ物だ。すばらしい。

・帰り道、コンビニで雑誌を開いたら可愛い女の子がラーメンを食べている写真があって、殺意を覚えてしまった。だからラーメンは当分いいです。

・今、「とうぶん」を変換したら「糖分」が出た。今最も考えたくないものの一つ。あとは「血中コレステロール」「塩分濃度」

・穢れた血が元の赤さを取り戻すには、さぞや時間のかかることだろう。

・きっと人間の体内にはたくさんの小人さんが居て、その人間の体内環境を常時監視しているのだろう。何が自分に足りていないのかは、すぐに反映される。
最初は甘い物を無性に求めていた。そして水。いつしかまったく甘い物を欲しがらなくなったとき、体内の警邏システムは破綻の危機を迎えていたのかもしれない。

・そもそも、その人間に「思慮深さ」が完全に欠落していることを見抜けなかったのだから、始めから破綻していたと言うべきか。



・お腹の中に鬼が居て、金棒を胃壁にこすり付けている。そんな気がする。最後に食べた冷やし味噌のスープは唐辛子で真っ赤である。紅に染まったこの俺を、慰める奴はもう居ない。
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・タイトルの元ネタの曲が好きです。えーと、それだけ。


Date: 2007年03月04日 23:32

・忙しかったからじゃ無いんだ。

・文が全く出てこなかったんだ。

・レポートで文章を出し尽くしたって?

・鼻で笑えるね。まったく。


・でも、今日見たのさ。高田馬場駅で。


・夕方、夥しい本が並べられていた。古本市だ。


・交番の近くでコエーリョや谷崎の背表紙を見つめていた。


・一人のオッサンがよたよたと交番に入って、


・「刑事殿!刑事殿!」と言いながら警官に卵のパックを渡していた。


・警官は表情一つ変えずに、何を言ったかは聞き取れなかったが、奥の部屋に10個パックを持っていった。


・それはもう、泥んこ遊びをした後のハイエナみたいなオッサンだった。


・彼はどこかに消えた。あたりはとっぷり暮れる。


・交番。警官は3人。1個余るね、あれは。



・そんな光景を目にしたら、急に日記が書きたくなった。


・「こんなところで・・・・・・ッ俺は・・・ッこんなところで死ぬのかッ!!
こんなところで一人ぼっちで死ぬのか・・・!!
嫌だ 嫌だッ!!
ひとりぼっちで生まれて・・・ひとりぼっちで死ぬのか・・・ッ
畜生[JESUS]・・・ッ」


・「ヴァンパイアと屍体」という本を読んでいる。
吸血鬼の伝承を、中世~近代ヨーロッパにおける埋葬の概念と方法から解析しようとする本だ。
その中には、埋葬方法に関する話題が頻繁に登場する。火葬。水葬。土葬。風葬。

人間の体の70%で水である。つまりかなり湿っている。従って完全に灰にするには多量の熱を要する。中世ヨーロッパでは、火葬はごく一部の貴族にしかなされなかった。日本は湿度が高いので最近まで土葬だった。
インドのある地方では死体の表面を焦がしてからガンジス川に流す。
ある所では砂漠に埋める。死体が腐らないように。ある所では湿地に埋めて上から水をかける。早く土に還るように。


火葬をすると肉体はこの世に戻ってこない。腐敗しない肉体は棺を叩き、土から浮かび上がるという。遺体の分解を確認してから2度目の埋葬をする所や、再び掘り返す慣習のある所もある。

家庭に埋葬する所もあるが、その想いは2つある。家に埋めると、死者が家を守ってくれる、というもの。もう一つは、死体を持ち上げたり触れたりする必要の無いように、床下にそのまま埋める、というもの。


ネアンデルタール人には既に埋葬の習慣があったらしい。埋葬には、敬意と恐怖、親切と嫌悪が渦巻いている。
感情は死者に対してであり、死体に対してであり、死に対してである。この3つは常に同時にそこにあるがゆえに、ばらばらにすることが出来ない。
そして、それらは完全に統合することが出来ない。なぜなら、もう生きていないから。


心臓が止まる。脳が活動を已める。その後も死体は変化を続け、様々な表情を見せる。
現代ではそうなる前に荼毘に付す。それは、うつろいゆく体、うつろいゆく死に終わりを持たせる行為なのかもしれない。
人は2回死ぬ。1度目は心停止と脳停止によって。2度目は埋葬によって。
1度目は生物学的に。2度目は文化的に。


1度目は漸次的に。2度目は永遠に。
・つまらない内容だと思うが、不思議と好きだったりする。


Date: 2007年02月13日 23:36

・「どうせもらえないんだったら、自分で作って逆に配るのはどうだろう。」

と数年前から考えているのだが、通っている大学は決まってこの日の前後に試験をぶつけてくるので叶えた事は無い。



・自転車の後輪がパンクした。
よく見たらタイヤが擦り切れている。自分で替えてもいいけれど、後輪はギアとかあるし、寒くて手はかじかむしなあ。


と思ったのは去年の事だ。
それからずっと放置していて、その間鍵を挿しっぱなしにしてあったので盗まれかけたり(パンクしていたので数mで諦めたらしい。でも、鍵は投げ捨てられた)その鍵を必死に壊したり(中学の時の友人が、コレで・・・と言いながらマイナスドライバーを持っていたのを思い出し、記憶を頼りにやってみた。今思えば、なんてヤツだ)して、やっと自転車屋に修理に出した。

1時間くらいかかります、そうですか、ではその頃取りにきます、と言って商店街を15歩くらい歩くと後ろからおばさんが追いかけてきた。
よく見たらさっきの自転車屋のおばさんではないか。

おばさんの話は、うわの空で聞いていたのでディティールは掴めなかったが(おばさんの鼻毛がそれはもう気になって気になって)、どうやらもう後輪が外れるのも時間の問題、今直しても乗りにくい事この上ないから処分しちゃいなさい、との事。

実は盗まれかけた時に、直ぐ諦められた事にちょっとがっかりもした。そして、鍵だけ投げ捨てられた時には二重にがっかりした。どうせなら自転車ごと投げ捨ててくれよ、という言葉が、もし気管支が弛緩していたら口から出ていたかもしれない。
教訓。諦めるな。誰かががっかりする。


処分には1050円かかったが、後輪のタイヤを交換していたら3675円取られる所だったのでお金が浮いた。浮いたお金でカレーを食べに行ったら店主に拝まれたし(ピン札だったのです)、クラスの女子に(何年ぶりに使ったんだろうこの言葉)飲み会のお金を払うことも出来た(あれもピン札だったのだよ)。そうして東京中を走破した自転車と別れた。
・ものを捨てる話は、この前にも1回書いていて、更に遡ると高校時代に作文で書いた。定期的に心に現れる問題なのかもしれない。


Date: 2007年02月08日 18:01

・試験が近いから試験勉強をしているのだが、
やればやるほど、この学部全体に渦巻く「あー、試験とか適当でいいよ。面倒くさいから」な雰囲気をひしひしと感じる。
だから大掃除をしたりしながら適当に乗り切るつもりだ。

うちの寮はところてん方式というべきか、毎年の人の出入りに合わせて引っ越しが行われる。つまり1年に1回引っ越しをする。物を多く持っていると毎年恒例の引っ越しが面倒な事この上ないので、他の住民はそうでも無いらしいのだが、最低限の物しか持たないようにしている。所持品を全て合わせても、よく蜜柑を入れるのに使う様な段ボール8箱くらいで済みそうな気がする。

これはきっと永遠の謎だと思うのだけれど、1年生活していると物はびっくりするくらい溜まってくる。角砂糖を水に溶かすときれいになくなってしまうように、ある一カ所に物が溜まるというのは本来は自然の法則に反しているのだ。でもその不可解な現象があるお陰で、「棄てる」という素晴らしいストレス解消が出来るから目を瞑る事にしよう。

今日は「これから先、絶対に着ない服」を捨てた。明日は「いつか着るかも、と心のどこかで思っている服」を捨てるつもりだ。
最近はどこまで物を捨てられるか、という極限値を考える事が、試験勉強と見事に拮抗している。でも先に述べた様な風潮がこの学部にはある(と信じている)のでそれほど気にはならない。非競合的な拮抗というやつだ。

あとは本を1/4くらい捨てて(本を捨てる事は一番の軽量化につながる)カーベットを捨てて(今朝ごみ袋に入らなかったから切り刻まないと)「部屋の中でだったら着てもいい服」を半分くらい捨てて・・・
と、思いを巡らすのは楽しみからだけではなく、何を捨てるか意識させる為でもある。前に「アレをそろそろ捨てるか・・・」と思ってクロゼットの奥を探したが全く見つからない事があった。そうだ捨てたんだっけ、と思い出したのはさんざん引っ掻き回した後で、これよりも「骨折り損の草臥れ儲け」という言葉が似合う為には、本当に骨折しなければいけないんじゃないかと思った。

上京して3年。3回目の引っ越し。毎年こんな調子なので、捨てるものは減少の一途を辿っている。先に段ボール8箱分、と書いたがそれは上京時の荷物の量で、今はもっと減っている筈だ。そうなると憂鬱なのは荷物の移動より床掃除である。腕の筋肉をいじめてくれそうなシミがそこかしこにあって、汚れに立ち向かう為の新たな武器を実は結構前から探しているが難航している。こうなったらもう修行だと思って「もう!全然落ちないわ。」とかブツブツ言いながらゴシゴシ擦る事にしよう。「ヘイ!それならこれを使いなよ~」とアメリカンボーイがどこからともなく現われるかもしれない。
・どうでもいいが、寝不足なので日記の選別基準がものすごく曖昧、というか何が面白いか判らなくなってきた。


Date: 2007年1月15日 01:22

・最近厭になった言葉があったが、何だか思い出せない。「もったいない」だったか。ちょっと違う。確かに「もったいない」もあまり好きな言葉ではない。
ああ、あれだ。「若いときの苦労は買ってでもしろ」だ。
嫌いな言葉というのは、大抵はその言葉を頻繁に使う人間が、自分の嫌いなタイプであるから嫌いになってしまう、というパターンだ。坊主憎けりゃ袈裟迄憎い、の発想かもしれない。別に言葉はそいつのものではないけれど。
思うに、苦労なんてしないに越したことは無い。人間は弱いから、なまじ苦労をするとそれを慰めに使ったり、勲章にしてぶら下げたりしてしまう。
苦労というものは文字を見て解るとおりネガティブなもので、そこに救いもなければ利益もない(はずなのだが、上の言葉を使う人間はメリットのある ものに対しても苦労なんて名詞を当て嵌めたりしている。二重に腹立たしい)。そんなものを使って自分を大きく見せようとするのは甚だ滑稽だ。裸で街を歩く より酷いかもしれない。

とはいえ、偶には自分の苦労を皆に解って欲しいとか、もっと自分を理解してほしいだなんていう誘惑に負けてしまいそうになる。結局みんな劇場に居 たいのだ。しかもこっち側でなくあっち側に。バルコニーの上からモノローグを、哀しくも愛しいモノローグを振り撒きたいと願って。



・最近思う。多様性を認めるという事は、会話の閉鎖と沈黙を覚悟しなければならない。
どういうことかというと、恋愛とはこうだ、ああだ、こうするべきだ、と無駄に熱い議論が交わされているとする。そこに誰かが、「そんなの、いろん な人がいて、いろんな恋愛があるんだから、それでいいじゃん」とか言うとどうなるか。議論はそこで終わってしまう。こう言われたら反論のしようがない。
飲み会の席でこれをされたら堪ったものではない。次の話題を探すのに気まずい時間を経なければならない。言う本人は丸く収めようとしての意見だ とは思うが、別に丸く収めたくて恋愛話をしている訳じゃない。実存が本質に先立つ、ちょっと違う、手段のためなら目的は横に置いておく、というか。

アメリカ大統領選では候補がそれぞれ、同性愛に賛成/反対、中絶は、銃は、と明確に意見を打ち出す。自分は同性愛だろうが中絶だろうが、個人の勝 手だろうと思う。そう、別に個人の自由なのだ。そんな事ホントは誰も解っているのに。でもそうやって簡単に片付けようとするのは、戦争が泥沼化しているか ら核爆弾で一掃、に考え方がなんとなく似ている気がして寒気を覚えてしまう。
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プロフィール
HN:
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/11/25
職業:
自由人
自己紹介:
麒麟さんが好きです。
でも象さんはもっと好きです。

やっぱり麒麟さんが好きだ。
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