・ものを捨てる話は、この前にも1回書いていて、更に遡ると高校時代に作文で書いた。定期的に心に現れる問題なのかもしれない。
Date: 2007年02月08日 18:01
・試験が近いから試験勉強をしているのだが、
やればやるほど、この学部全体に渦巻く「あー、試験とか適当でいいよ。面倒くさいから」な雰囲気をひしひしと感じる。
だから大掃除をしたりしながら適当に乗り切るつもりだ。
うちの寮はところてん方式というべきか、毎年の人の出入りに合わせて引っ越しが行われる。つまり1年に1回引っ越しをする。物を多く持っていると毎年恒例の引っ越しが面倒な事この上ないので、他の住民はそうでも無いらしいのだが、最低限の物しか持たないようにしている。所持品を全て合わせても、よく蜜柑を入れるのに使う様な段ボール8箱くらいで済みそうな気がする。
これはきっと永遠の謎だと思うのだけれど、1年生活していると物はびっくりするくらい溜まってくる。角砂糖を水に溶かすときれいになくなってしまうように、ある一カ所に物が溜まるというのは本来は自然の法則に反しているのだ。でもその不可解な現象があるお陰で、「棄てる」という素晴らしいストレス解消が出来るから目を瞑る事にしよう。
今日は「これから先、絶対に着ない服」を捨てた。明日は「いつか着るかも、と心のどこかで思っている服」を捨てるつもりだ。
最近はどこまで物を捨てられるか、という極限値を考える事が、試験勉強と見事に拮抗している。でも先に述べた様な風潮がこの学部にはある(と信じている)のでそれほど気にはならない。非競合的な拮抗というやつだ。
あとは本を1/4くらい捨てて(本を捨てる事は一番の軽量化につながる)カーベットを捨てて(今朝ごみ袋に入らなかったから切り刻まないと)「部屋の中でだったら着てもいい服」を半分くらい捨てて・・・
と、思いを巡らすのは楽しみからだけではなく、何を捨てるか意識させる為でもある。前に「アレをそろそろ捨てるか・・・」と思ってクロゼットの奥を探したが全く見つからない事があった。そうだ捨てたんだっけ、と思い出したのはさんざん引っ掻き回した後で、これよりも「骨折り損の草臥れ儲け」という言葉が似合う為には、本当に骨折しなければいけないんじゃないかと思った。
上京して3年。3回目の引っ越し。毎年こんな調子なので、捨てるものは減少の一途を辿っている。先に段ボール8箱分、と書いたがそれは上京時の荷物の量で、今はもっと減っている筈だ。そうなると憂鬱なのは荷物の移動より床掃除である。腕の筋肉をいじめてくれそうなシミがそこかしこにあって、汚れに立ち向かう為の新たな武器を実は結構前から探しているが難航している。こうなったらもう修行だと思って「もう!全然落ちないわ。」とかブツブツ言いながらゴシゴシ擦る事にしよう。「ヘイ!それならこれを使いなよ~」とアメリカンボーイがどこからともなく現われるかもしれない。
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