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衒学衒学ゥ!
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・虫はダメなのに、今日は大学で虫についての授業を受けた。


Date: 2006年07月13日 05:51

・分類学上では蝶と蛾の区別が無いという事は有名な話である。
(どちらも「鱗翅目」に属していて、これは蝶や蛾を触った事があればまあ頷けるネーミングだ)
でもいつの間にか、蝶には肯定的、蛾には否定的なイメージが付き纏っている。蝶は色も鮮やかだし、花の間をひらひら舞ったりしてみせるから外見は いい。一方の蛾はというと、色も大半は茶色やくすんだ色をしていて、舞うというよりもバタバタともがきながら光や人間の方に寄って来たりして、明らかに第 一印象はよくない。

実家は網戸の無い家で、最近のような夏の夜は窓を開け放す。蚊取り線香をものともしない蛾は部屋の中に入ってきて、電灯の周りを忙しそうに跳ねたり、そこから下がる紐を上ったりする。
光ある所には熱がある。光に魅せられた挙句、熱に曝された蛾は、蟲も控えめになる秋ごろに掃除される。

たまに、電灯の近くの天井にじっとその翅を休め、動かなくなってしまう蛾がいる。朝になって電気が消えてもそこにいる。夏がどんどん過ぎても翅の一枚も動かさず、もの言わぬまま秋を迎える。
そんな、夏の残り香のように貼りついた蛾は、不思議なことにその砂色の翅が青みがかって、光とうまく気が合えば玉虫色に見える事もある。

明るい人を好む自分が蛾に見える事がある。ある夏の日、電灯の傘から漏れる光に張り付く蛾は、単に死に場所を探していただけなのだろうか。それとも、ただただその光に浴していたかったのだろうか。夏が終わり、秋が来る事も知らないで。
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・焚き火がしたい。誰か一緒にこの夢叶えませんか。


Date: 2006年07月11日22:58




・この画像はなんだか解らないものを燃やしている写真であり、
背景の暗闇は焚き火を想わせる。
焚き火はいいですよ。寒い時期の焚き火も焔の優しさに触れられて感慨深いけれど、夏の焚き火もまた、この季節特有の暗闇のざわめきを、炎が吸い込んでくれるようでしみじみと夜を過ごせる。


何処も焚き火に対して否定的になってしまい、きっとその辺の河原や空き地で焚き火をした日には直ちに通報されてしまう。情けない世の中だ。
って、そんな世間を嘆きたかった訳ではない。
普段は一人で行動する事が多いけれど、焚き火をするなら他人とした方がいい。
万が一周りのものに燃え移ってしまった時に一人じゃどうにもならないから、という理由ではなくて、火の前なら静かに話をしても、ちょっと騒いでも、不思議と穏やかな気分になるからだ。
因みに、火が大きくなってしまったら何人居ようがどうにもならない。
炎は、人間の肌を最も美しく見せる光だと思う。陰影のくっきりと彫られた横顔には橙が淡く照り返し、影は炎に合わせて揺らめく。動きの先に目をやると、眩しい熱の中に何かが見えてきそうな気がする。
・面白い試みだが続かず。


Date: 2006年07月03日 05:30

・何もする気が起きなかった休日だった。そんな昨日の一日。

7/2

2:00   おきる
4:00   ごはん
7:00   そうじ
10:00   がいど
14:00   りぶろ
16:00   かふぇ
18:00   まんが
19:00   ねむる

7/3
4:00   おきる

「レポート」は4文字だからしませんでした。
・もういいですよーだ。Mで。


Date: 2006年06月29日 00:49

・今日は早く寝て明日早く起き、朝からレポートを書こうとした。
でも予定というのは、傷つけ合う為に出逢ってしまう恋人のようなもので(なんじゃそりゃ)、壊され破られる為に立てられると言っても過言ではない。
つまり、飲んでしまったということだ。眠い気がするけれど寝る気がしない。どうしようも無い。



・今日は見事「ドM」の称号を賜った日だった。いや、時々言われる事なのだが。
確かに自分にとってなるべく辛い状況・状態であることを常に望んでいる節はある。わざと困難な状況を作り出したり、自分を苦しめたりする。
自分にとって好都合な状況が続いてしまうと、もう駄目だ、もう堕落してしまうと思ってしまう。
部屋ではクーラーもつけないし、最近もまだセーターが現役だ。涼しさは快適であり、快適とは自分を不安の沼に陥れる以外の何者でもない。

マゾヒズムについて調べると、もっとその意味というのは限定されている。
被虐に対する性的興奮。あくまで元々の意味は性的な意味であり、虐げられて喜ぶという単純なものではない。
ましてや、辛い状況を好むとか、苦しい状況に追い込まれることを好むなんてものでもない。
とくに後半(ましてや、以下)は純粋なマゾヒズムとは程遠い。これらは自己憐憫とか、自己愛とか、同情によって自分が認められているという快感とか、まあつまりは「利益」を見据えてしまっているからだ。それも精神的な利益。
純粋なマゾヒズムは、利益を求めないか、もしくはもっと原始的な快感(イキそう、とか?)を求めるものだと思う。

マゾヒズムと自虐とナルシシズムは互いに繋がる、と考えていたが、ナルシシズムに繋がるマゾヒズムは所詮エセであり、それをマゾヒズムと呼ぶことこそが自虐とナルシシズムなのだ、と考えを改めた。
そう考えると、ただ苦しい状況に喜ぶ自分はマゾでも何でも無く、ただのナルシストだったのだ。なーんだ。単なる自分大好きっ子か。

因みに、マゾかどうかは本当に解らないから頭ごなしに否定も出来ない。

眠くなってきました。普通の日記にしようと思ったのに。
母性
・母の日は土曜だと思ってた。1日フライングした。


Date: 2006年06月28日 21:49

・子供は親、特に母親は絶対に選べない。
この世に生れ落ちる前でさえそうなのに、生まれた後も母親は、この世でお前の母親はただ一人しか居ないと繰り返し、選択の目を閉じさせる。そして子供は、自分の引いた籤には逆らう事が決して出来ない事を覚える。

母親は子供にとって創造主であり、全知全能の神であり、死神でもある。どんなに強い心を得たとしても、母の呪縛のヴェールを破る事は困難を極める。もがけばもがくほど体は汗ばむ。湿った肌にヴェールが貼りつき、絡む。

ひどい母親を持った子はどんな子よりも悲しい存在だ。しかし、その子は気付かない。世界は閉じているから。その重い扉をぴったり閉めているのは母親、そしてその子自身である。取っ手を持った2人の手が触れ合う。母と子は互いを見つめ微笑む。幸せそうに。

ひょっとしたら自分の趣味が偏っているかもしれないが、自分の読む現代アメリカ作家の本には、バカな母親が頻繁に登場する。
その母親は大体ヒステリー持ちで、子供の話を聞いているようで実は一つも聞いておらず、だから子供との会話は常にちぐはぐである。子供を独占したがる。女郎蜘蛛が糸を伸ばすように、いつもありとあらゆることを悩んでいる。
しかし、子供を愛するそぶりを見せるから、子供は安心しきってしまう。

「代理によるミュンヒハウゼン症候群」という病気がある。自分の周囲に人々の関心を寄せる為に、自分に近い他者をわざと傷つけたり、病気や怪我を 捏造したりする症状である。言うまでも無く子供を持つ母親に見られる。捏造した病気を献身的に介護する演技を通して、いい親と認められたい、同情を買いた いと願う。
これは病気だ。病気は「原因と症状がある程度はっきりしている」から病気になるのであって、病気にならないが、しかし深刻な水面下の悪意は確実に存在する。
母親がわが子を思うのは、本当にその子のことを思っているからなのだろうか?自分の為、とは言えないだろうか?

小さい頃、よく「この人は本当の母親ではない、実の父ではない、どこか知らないおじさんとおばさんなんだ、本当は」と考えた事がある。引き出しを ひっくり返し、出産直後の写真や、新生児の足につけて取り違えを防ぐベルト(母親の名前と生まれた時間が書いてある。そこで、午前7時41分に産まれた事 を知った)を見ても、まだその「本当の親かどうか」という疑いは不思議と生き残り、以後長きに亘って自分の心に巣食うこととなる。

親にとって必要なのは何だろう。血の繋がり?産みの痛みの共有?子供を理解すること?子供にとって最善であろう道を指し指し示すこと?啓蒙?愛情?

残念ながら、全てピンとこない。色々な親が居て、色々な子供が育つ。ずらっと並んだ数百枚の、オートロックのドアの前に立つようなものだ。一旦出ると鍵がかかってしまう。しかし、どの扉を通っても、どこかに出る事は出来る。
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プロフィール
HN:
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/11/25
職業:
自由人
自己紹介:
麒麟さんが好きです。
でも象さんはもっと好きです。

やっぱり麒麟さんが好きだ。
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