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「 母性 」
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母性
・母の日は土曜だと思ってた。1日フライングした。


Date: 2006年06月28日 21:49

・子供は親、特に母親は絶対に選べない。
この世に生れ落ちる前でさえそうなのに、生まれた後も母親は、この世でお前の母親はただ一人しか居ないと繰り返し、選択の目を閉じさせる。そして子供は、自分の引いた籤には逆らう事が決して出来ない事を覚える。

母親は子供にとって創造主であり、全知全能の神であり、死神でもある。どんなに強い心を得たとしても、母の呪縛のヴェールを破る事は困難を極める。もがけばもがくほど体は汗ばむ。湿った肌にヴェールが貼りつき、絡む。

ひどい母親を持った子はどんな子よりも悲しい存在だ。しかし、その子は気付かない。世界は閉じているから。その重い扉をぴったり閉めているのは母親、そしてその子自身である。取っ手を持った2人の手が触れ合う。母と子は互いを見つめ微笑む。幸せそうに。

ひょっとしたら自分の趣味が偏っているかもしれないが、自分の読む現代アメリカ作家の本には、バカな母親が頻繁に登場する。
その母親は大体ヒステリー持ちで、子供の話を聞いているようで実は一つも聞いておらず、だから子供との会話は常にちぐはぐである。子供を独占したがる。女郎蜘蛛が糸を伸ばすように、いつもありとあらゆることを悩んでいる。
しかし、子供を愛するそぶりを見せるから、子供は安心しきってしまう。

「代理によるミュンヒハウゼン症候群」という病気がある。自分の周囲に人々の関心を寄せる為に、自分に近い他者をわざと傷つけたり、病気や怪我を 捏造したりする症状である。言うまでも無く子供を持つ母親に見られる。捏造した病気を献身的に介護する演技を通して、いい親と認められたい、同情を買いた いと願う。
これは病気だ。病気は「原因と症状がある程度はっきりしている」から病気になるのであって、病気にならないが、しかし深刻な水面下の悪意は確実に存在する。
母親がわが子を思うのは、本当にその子のことを思っているからなのだろうか?自分の為、とは言えないだろうか?

小さい頃、よく「この人は本当の母親ではない、実の父ではない、どこか知らないおじさんとおばさんなんだ、本当は」と考えた事がある。引き出しを ひっくり返し、出産直後の写真や、新生児の足につけて取り違えを防ぐベルト(母親の名前と生まれた時間が書いてある。そこで、午前7時41分に産まれた事 を知った)を見ても、まだその「本当の親かどうか」という疑いは不思議と生き残り、以後長きに亘って自分の心に巣食うこととなる。

親にとって必要なのは何だろう。血の繋がり?産みの痛みの共有?子供を理解すること?子供にとって最善であろう道を指し指し示すこと?啓蒙?愛情?

残念ながら、全てピンとこない。色々な親が居て、色々な子供が育つ。ずらっと並んだ数百枚の、オートロックのドアの前に立つようなものだ。一旦出ると鍵がかかってしまう。しかし、どの扉を通っても、どこかに出る事は出来る。
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