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衒学衒学ゥ!
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・夢は自由になれない。

臥し所の枕に浮かぶのは、蜷局を巻いた見えない願望か。

自由な世界とイメージを求めて檻の扉を開けようと、
行けども行けども牢獄は続く。


この前見た夢では、自分の部屋にパソコンが現れた。

しかも2台。
「こんな大きいの。机の上がいっぱいじゃないか。どうしてくれよう」とわざとらしく呟く自分。
夢では何故か、自分から抜け出たもう一人の自分、
冷静に空から俯瞰する自分が居るもので、
その時も窓の外から、だらしなく笑う自分を見ていた。


パソコンが欲しいのは事実だ。1台でいいが。


暑さの所為か、夢が歪んでいく。
生命を持ち、意思や願望に反抗する。
先日などは遂に、夢が入れ子構造になってしまった。
夢の中で小説を読んでいて、そのストーリーが本編を無視して滑っていく。

必死に本を読んでいた。現実では有り得ない程の力の入れようだ。
そうする事には訳がある。読んでいる小説が難解すぎるのである。
男か女かも解らない登場人物が次々と現れては、濁流のような言葉を次々とまくしたてる。狂ったオペラを理解する気が無いのか、小説を読む夢の目は上から下へと流速を速める。

そうしていたら体育の時間に遅れてしまった。


水泳の授業が終わり、更衣室の先の扉を開けると、
靴屋にいた。


棚に置かれたありとあらゆる靴は全て黒い。
薄暗い部屋は月の光だけが照らしているように蒼白く、靴たちは静かに生気を無くして眠っている。
棚の前には古めかしい、小振りのソファが置かれ、僕は見慣れぬ靴を履き、身動きもせず座っていた。
月日を経て落ち着いた木目、鰐革を模したカバーの刺繍を、靴ひもを結ぶでもなくじっと眺めるままでいたのは、後ろから男に抱きすくめられていたからだ。

僕の左耳の後ろには男の口が寄せられ、低い音で何かを囁いている。そのバスに似合わぬ華奢な腕は、いつの間に着せられたのか、この部屋の風景に相応しく仕立てられたダークスーツのジャケットに巻き付いている。
男の腕を振りほどきながら顔を上げる。靴はどれも横を向いて爪先から踵までを月光に晒している。



真っ暗な部屋で起きた。夏と梅雨の、寝汗をかいていた。
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She
・台風だ台風だと世間で騒がれているが。

海の向こうではハリケーンに「カトリーナ」とか女性の名前をつけ、
「まったくお転婆なお嬢様だぜHAHAHA」と余裕の姿勢である。
(ほんとはめさめさ被害が出るので笑ってる場合じゃないんです)


しかし、ここで問題なのは、
日本の台風だから日本の女性の名前をつける必要があるという事で、
実際試しに今接近しつつある台風のために名前を2,3個あてがってはみたのだが、
その度に同じ名前をもつ知り合いが思い浮かんでしまい、
申し訳なさと後ろめたさの混淆したむず痒さを覚えてしまうのであった。
冷たい羽で首筋を撫でられるような、快いのか不快なのかよく解らない感覚よ。

彼らは毎年のように、しかも国内中にテレビで連日放送され連呼されて、
何か思うのだろうか。やはり。
「OH・・・カトリーナ・・・君もあのハリケーンのように、今夜も忙しく駆け回っているんだろうね・・・」と、昔の思いに浸ってしまう男は場所も時代も超えてゆく。

すぐに過ぎ去ってゆくもの。
それにつけるのは、無機質な記号がふさわしい。
「4号」では、センチメンタルになるための一分の隙間すら与えられない。
何かに名前をつけるとは、呼ばれる度に思い出したいからだ。思い出させたいからだ。
・この前あんな内容の日記を書いた手前、更新しなくては私は死んだ事になってしまう。

忘れていたなんて言ったら格好悪いから、一回死んで、上野と高田馬場で買い物をしてから生き返った、という事にしておこう。
そう、上野は黄泉の国。朝はそこかしこに死のにおい。



・最近、映画をヒロインで観ている。気がつくとそういう指向性を持ってレジに向かっている。
昨日レンタルしたのは「エリザベスタウン」(2回目)と「ベティ・ブルー」(同左)だが、この選択がキルスティン・ダンストとベアトリス・ダール目当てである事は明らか、であるのだが出来れば見破らないで欲しかった。


そしてこの「暗い日曜日」である。
この映画にも、エリカ・マロジャーンというミューズがいる。
この人はなんて艶やかに憂うのだろう。悲しみが美しいなんて御託が罷り通るのも無理はない。

内容は、エリカ・マロジャーン扮するイロナを巡る三角関係、と思ったら友情の物語になり、舞台が40年代のハンガリーなのでナチスによる搾取があり、それを巡る人間と死と悲しみがあり、最後はミステリーに収束してゆく。
この文だけ見るといろいろ詰め込み過ぎて内容は今ひとつ、と思うかもしれないがこの映画に関して言えばそんな事はない。きちんと纏まっているし、人間の日常というのは大体が詰め込み過ぎなのだ。恋愛と仕事と世界情勢に同時に悩む日だってあるだろう。



・心は2.5次元だ。2次元と3次元の間で常に揺れている。空間全体を見ているつもりでも、実はその空間の一つの断面にしか目が行かない事がある。

ちなみに最近2次元という沖に流され過ぎているきらいがあるのでなんとかして3次元に泳ぎ帰りたい。


海はぬめぬめする。きっと生命がいるからなのだろう。
「暗い日曜日」という映画を観た。

ハンガリーで昔作られた、同名の歌がテーマ。
この歌は自殺を誘う曲として知られ、
記録は残っていないものの多くの人がこの曲を聴いて命を絶ったとか。

ここに書くことを考えながら、暗い日曜日を聴き続けていたら、
気分が欝いできたので書きたかった事は明日に回す。
生きていたら。
・アメリカ人学生が日本に来ていたので、数人でカラオケボックスに連れていった。
「日米カラオケ合戦」と誰かが評していたが、そんなに仰々しいものではない。

カラオケは日本の文化、という自負はあったものの、完敗を喫してしまった。
彼(24歳+ヒゲ)の歌う洋楽、ネイティブスピーカーの洋楽があの小宇宙での制空権を握り、観客はヒゲの歌うブリトニー・スピアーズにスタンディングオベーションを浴びせ、彼との間に聳える壁が崩れていくような、それでいて彼が光に似た速さで遠ざかっていくような、そんな空気がボックスを制圧している気がした。



後日、悔しかったので洋楽を久しぶりに聴き漁った。育ってきた環境が違うから、負けるのはしょうがない、などという歌謡曲じみた慰めは今は耳に入らない。洋楽にしか興味を持てないからである。今は。

そしてこの極東の地にまで滲み出している洋楽の海を渡るうち、航海者の多くが一度はたどり着く不思議な入り江に僕は乗り上げた。

その名をMichael Jacksonと云う。


マイケル。皆のマイケル。天下のマイケル。といえば、今や鼻だのネヴァーランドだのといったきな臭いキーワードのみが乱舞し、すっかり色物扱いされている印象を受けるが、彼の絶大なるカリスマ性の前ではその全てが霧消する。
マイケルのダンスは本当に凄いのだ。動きはナイフのように美しく鋭く、立ちこめる妖気は甘美でいて激しい。
人間の体が音に合わせて動くだけで、こんなにも多くの事を語るのか。あれでは体中の皮膚に経文を書き付けるより踊った方が早い。
天上天下唯我独尊、という言葉が、既に数千年もの昔に使われてしまった事が悔やまれる。



そして夜は更け、本来の目的からは外れて、黒も白もないステージとスポットライトに見入るのであった。
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年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/11/25
職業:
自由人
自己紹介:
麒麟さんが好きです。
でも象さんはもっと好きです。

やっぱり麒麟さんが好きだ。
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