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衒学衒学ゥ!
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・「認めたくないものだな。自分自身の若さゆえの過ちというものを・・・」
という台詞は、実際に言うと語呂が非常に悪い。
文を2つ以上に区切る場所がよく分からないので一息で言う必要がある。
そして、一息で言うには長い。ポツリと呟くには長台詞過ぎる。

語呂の悪い言葉が名台詞として定着しない中、この言葉が何十年も生き残っているのは、
熱烈でちょっと執拗なファンの多い作品での台詞で、しかも熱烈でちょっと執拗なファンの多いキャラクターの台詞だから、
というのもあるだろうが、それよりも何よりも、
自分自身の若さゆえの過ちを認めたくない人が実際多いから、というのが一番の理由かもしれない。

ふと昔の事を思い出してはそんな事を考えた。



・音楽番組で見たCHEMISTRYの二人はなかなか話が面白かった。

カッコよくて歌がうまくて話が面白いなんて一体何のつもりなんだ。
「人は良い所もあれば絶対どこかに悪い所もある、vice versa」みたいな話をした時、
この「全体ではプラスマイナス0」という現象を「エネルギー保存の法則」とか呼んでいた。
たまにこう、こちらが必要もなく困ってしまうほど非の打ち所の無い人を見るが、
そのたびにその人の、絶対外からは見えない、あるかどうかすらも分からない、
もしあるとしたらそれはエネルギー保存の法則から考えて途轍もなく邪悪な、
「裏」の部分を考えてゾッとしたりする。
「エネルギー保存の法則」は物理法則であり、物理法則は未来・過去・現在、
いついかなる場所においても変わる事の無い普遍的法則なのだ。


カッコよくて歌がうまくて話が面白いといえばT.M.Revolutionの西川貴教だ。
また歌手だ。この3つが揃った人は歌を歌いだすのかもしれない。
幸いにも彼らはとても遠い所にいるので、「裏」を見るには地球を半周くらいする必要がある。
近くにいる人は、首を少し伸ばすだけで、表も裏も見られるほど近くにいる人なら。
うまく隠された繋ぎ目を探したり、他より薄い部分を調べたり。
人間は毀れ易い。装甲が剥れ易い。
そしてその向こうは、不思議な弾力に満ちた何かが詰まっている。
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・北枕で寝ている。


北枕の戒律には昔から厳格な方で、外で寝る前には方位磁針を覗く事が儀式の様になっていた時もある。

幼いあの日、北向きに寝かされていた、顔も体も覆われた物云わぬ人。北に枕を向ける度にピクリともしない蒲団の盛り上がりを鮮やかに浮かべる。

けれど今は昔より気にしなくなり、部屋の構造上、北枕にすると何かと便利である事に気づいたので、水が高きから低きへと流れていくように易きへ流れ、迷信から目を背ける事になったのだ。



ドアを開けるとベッドがある。内側に開くドアが当たるか当たらないかの狭間にベッドを置いたのは、年初めの模様替えの折の事、
今年はさぞ切り倒されたまま永きに亘り風雨に晒された倒木の様な擦切れた肉と霊とで、
毎夜毎夜このドアを開けるだろうという予感がしたからだ。

実際丸太のように疲れ果てる事はあれ、ドアを開けてそのままベッドに倒れ込む事はない。
しかしドアを開けてまず主人を迎えるのが、最も奥に安置されるべき寝床であるという配置に趣を感じたのでそのままにしている。



今までは足をドアに向けて寝ていた。
南を向いた窓に頭を向け、朝は開け放したカーテンの間から注がれる曙光に濡れる。
(濡れているのはただの寝汗です)

北枕を受け入れるという事は、足を窓に向け、ドアに頭を向ける事。
ドアの振れ幅ぎりぎりのベッド、その端に延べた枕に頭を委ねて眠る。
もしも誰かがドアを開けたら、伸ばした手の先には頭が触れる。

開けるのが、巨大な斧をかざした異形の者だったら。
(武威みたいなやつ)

ガチャ、ブンッ!・・・・・・ゴロゴロゴロ

となるかもしれないと思いつつ、
熱と眠りとには勝てずに今日もドアを少し開けて北枕。
・腕のスナップを存分に利かせて、改札口にスイカを当てている人を見た。

あれは卓球のフォアハンドだ。
鋭いストローク、ヒットした後も気を抜くことなく振り切るフォームは完璧だ。

その美しさに、改札もピンポンという音で祝福した。



・「海がしょっぱい理由」で検索してここに辿り着いた人が居たらしい。

問題は解決しましたか?



・海がしょっぱいのは、地球がひっそり泣いているからだよ・・・
・今さらかもしれませんが、筋肉少女帯にはまりました。


ちなみにプライベートの事を言うと、今は修羅場、血の海である。
俺、この戦争が終わったら結婚するんだ・・・


ああ、時間がないときに限ってこの手のアンテナの感度が増幅してしまうのはなぜ。
ここで筋少に逢ったのは運命かもしれない。
そして、(本当の意味で)リアルの彼ら、熱狂を感じるには幼すぎた
(筋少聴いてる園児はちょっと将来に不安を感じる存在)事に寂しさを感じている。



・いい声を持ちたい。
無理なら噛まない口でもいい。
要はトークのための力が欲しいのだ。
ああ、もっと!この俺に力があれば!

この力を鍛えるにはどうすればいいのだろう。
トークをし続けないと死んでしまうような環境にわが身をおけばいいのかもしれない。
水泳でいうと、息継ぎがヘタな橡はクロール中に水を飲んではよく水中で噎せたものだ。
(水中で噎せると更なる水が入ってピンチが加速します)
よって息継ぎは水泳にとって不可欠な技法であるといえよう。
生きるためにトークが必要な場所・・・

だめだ。いかがわしさしか浮かんでこない。
そんな気魄は無いから、今日も引き篭もっていよう。
誰とも話さなくても生きてゆけるこの美しい国で。

トークは文字でいいです。
・3個くらい前の記事で「ベティ・ブルー」のレヴューを書いたときに、そうやって人にものを紹介する類の事が下手すぎることに気づいたので、もうしない。


・「ゴッドファーザー」


・「ゴッドファーザーって、いろいろな所で名作って言われてるけど、どんな映画なのかな。」
という思いでここに迷い込む人が居るかもしれない。
それを見越して、映画の紹介は敢えて全くしない事にする。


・ゴッドファーザーには「式」が3回あって、どれもたっぷり時間が取られている。
どの回も式は延々と続き、最後の式以外は特にストーリーに於いて重要では無いものの、まったく無駄な所が無い。

余分なカットが無い。それはこの映画全体に言える事だ。
3時間近い上映時間で、1秒も無駄なシーンが無い。これこそ名作たる所以であろう。


・3回の式とは、一つ目が冒頭にあるドン・コルレオーネの娘コニーの結婚式。二つ目が逃亡先でのマイケルの結婚式。三つ目はラストの洗礼式である。
洗礼式は式自体よりもそれと並行して進むもう一つのシーンが極めて重要なので他の2つと少し違うが、どれをとっても見所のある式だと思う。

それに引き換え、現実での結婚式はどうだろうか。無駄だらけである。結婚式の98%は式そのものが無駄で、参加者は例外なく損ばかりをする。
噂では、本当にいい結婚式というものが微小な確率だがあるらしく、それに参加した人は感激に打ち震えて(自分が結婚した訳でもないのに)式場を後にするらしい。
尤も、噂でしか聞いた事が無い。都市伝説の一種なのかもしれない。


・「ゴッドファーザー」での結婚式が、見ていて苦痛でないのは何故か。
それは、式が茶番に成り下がっていないからである。
どうして茶番で無いのかというと、もちろんウェディングドレスやタキシードが似合う、というのもあるが、もっと重要なのは完全に「式化」されていない、という所ではないだろうか。
参加者が好き勝手に飲んで食べて騒いで、それぞれに楽しみ、そしてしばしば2人の門出を祝福する。
手紙なんて本人にこっそり渡せばいいし、ケーキは取り分ける必要が生じた時に勝手に切ればいい(というより、ケーキは食べるものだという正常な認識が通用しないのには驚きだ)。何よりも、自分の身の丈に合わない広い会場を借りる必要など全くないはずだ。


・人は何故結婚式を挙げたがるのだろうか。
もしかしたら、多くの人から同時に羨望の眼差しで見つめられ、注目を浴びる数少ない機会を無駄にしたくないという心理からなのかもしれない。
幼い頃から結構な目立ちたがり屋で通してきた自分だが、結婚式を挙げる事には断固反対である。
今までの経験から特に日本人は目立ちたがる人が少ないのに、相当な数の人が結婚式を挙げる。これが理解できない。
きっと、結婚式、と聞いてパッと頭に浮かぶタイプの結婚式はきわめて少数で、それがとかく目を引くものだから意識の中で増幅されてスタンダードだと思い込んでいるだけで、大部分の人は結婚式を挙げないか、こじんまりして感じの良いレストランかどこかで慎ましやかにパーティーを開いているのだろう。きっとそうだ。そう思いたい。



・「結婚するなら、どんな女性がいいですか?」

「そうですね、『結婚式なんて死んでも挙げたくないわ』って言う人がいいですね」
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プロフィール
HN:
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/11/25
職業:
自由人
自己紹介:
麒麟さんが好きです。
でも象さんはもっと好きです。

やっぱり麒麟さんが好きだ。
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