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衒学衒学ゥ!
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・2007年4月1日から「助手」から「助教」に名称変更したのでこの悩みもなくなった。


 Date: 2006年02月23日 07:49

・携帯でメールを打っていた。「助手」って打とうとしてじょし、まで打ったときに出た予測変換候補。 「女子 女子高生 女神 女子大生 女史 女将 助手 助手席」 助手、えらい遠くだな。 因みに女子高生も女神も最近打った覚えがない。 だいたい女神って。どんな文脈だよ。第一「めがみ」だし。女将も同様。 なのに、なんだか頭の中を見透かされたようでちょっと恥ずかしい。
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・ガーターベルトについて力説する男。


Date: 2006年02月18日 01:04

今日はここ一週間で一番能動的な活動をした日だった。頭も無いなりに結構力を入れて絞った。
アイデアというのは、出し切ればまた新しいものが湧いてくる。
今思い浮かんだのは、「ガーターベルトの役割ってなに?」です。

・・・。
自分で自分にツッコミを入れたいのはやまやまなのだが、解らないのだから仕方がない。自分の周りには、男女ともにガーターベルトを日常的に着用する人はいなかった。非日常でも・・・まあ、これは確かめたことがないので分からない。

調べてみたものの、ガーターベルトの役割は「ブーケの代わりに投げる」とか。おいおいそうじゃあないよ。というか投げてくれるな。
英国の勲章のうち、最高位のものをガーター勲章というらしいですが、ガーターベルトからきているとのこと。日本映画の最優秀作品や運動競技の最高位に送られるブルーリボン賞も、ガーターベルト由来らしいです。青色ってどうですか。

違う違う。

役割としては、1.脚を細く綺麗に見せる、2.ウェストのシェイプアップ効果(これはどうなんだろう)、3.ストッキングを吊る(これが一番現実的ですね。あまり蒸れないらしい)、4.セクシー(そうきたか)

変な話ですが、ってこれまでの話も十分変なのですが、みんな中高生の頃彼女(彼氏)が出来たらこんな事したい!っていう、あられもない願望を抱いた事と思います(あーなんか男子高校生限定っぽいな)。自分の数多の願望の一つは「ガーターベルトを買ってあげる」でした。倒錯具合が微妙なのがもどかしい。中学高校時代は、勉強するより恋愛の一つもした方がいいと、というかよかったなあ、と今でも思っています。健全な精神の育成のために。でないと「sexual」のスペルを訊かれて咄嗟に答えられるような人間に育ってしまうよ。uがポイントです。
・60を超えると多く感じる、という意見に全然賛同が得られず悔しいので書いた。
ブログのタイトルを決める時、この記事のタイトルと今のタイトルで迷った。


Date: 2006年02月14日 02:41

数はフシギだ。

数、は見えるし確かめられる。私のことどう思ってるの?とか、こんな時間に電話したらあの子は疎ましく感じるだろうか、とか、あなたのことを深く愛せるかしら~♪とか、恋愛感情というものは見えないし、確かめられもしない。だから人は不安になる。
でも数というのは実は極めて主観的だ。しかも、なにやら数学だの統計だのといった小細工を駆使して、精一杯客観的になろうとしているからタチが悪い。

5歳くらいの頃、「大体どのくらいの数から、『多い』って感じる?」と母親に訊いたことがある。
そのときはこう付け加えた。「僕ねえ、60を過ぎたら、多いなあ、って感じるよ。」

この場を借りて言うが、この頃の橡はまだ自分の毒や世間の毒にその身を冒されていず、自分でいうのもアレだが、ちょっと可愛げのある子供だった。だから↑みたいなセリフもそれなりに絵になる。念のため。

そのときの母親の答は、たしか「物による」という類だったと思う。至極真っ当だ。
自分にはその時は、加減はあっても乗除はなかった。ルートも自然対数もなかった。数えられるものだけが全てだった。だって50くらいまでは数えられるけど、60あたりから数えているうちに訳わかんなくなっちゃうじゃんか。

月日は流れ。成長するにつれていろいろなことを知り、覚え、数の多さ少なさは、その物やそれについての自分の感じかたで大きく違うことが解った。

献血は1回400mlの血を採る。人間の血液の綜量は、その人の体重のおよそ1割。血液の比重を1とすると、体重60kgの成人の血液総量は約6リットル。
人間は血液総量の1/3を失うと死ぬ。つまり↑の人は2リットルの血液がなくなると死ぬ。

いきなり何を、と思うが、2リットルで死ぬのに、1回で400ml採るのは多いか少ないか、ということだ。
自分は多いと思う。だから今までアンチ献血派だった。という事を書いていると、なんだか献血がしたくて堪らなくなってきてしまう。快楽とは、死や危険に近い性質を持っている。快楽であるがゆえに。

あと、17日〆のレポートにまだ手をつけていない。今日は14日で、あと3日というのは多いか少ないか、ということだ。5日は
多いと思ったし、1週間はそれこそ果てしないと思ったから、ここまで延ばしてきた。これは、精神的によくないと思う。

と、思い続けて20年。もう、精神的によくないことをわざと選んでしてるんじゃないかとさえ思えてくる。
・長すぎる。こういうだらだらした文は、得てして評判が悪い。


Date: 2006年02月03日 23:18

今日有った事と言えば、試験(授業に出てない科目の)と、美容院に行った事と、そこのお姉さんと話した事くらいなので、偶には内省的になるのもいいかもしれない。

「言いたい事が言えない人」という本を読んだ。
自分にとってストライクな内容なので、色々と考える。

恥ずかしがり屋の人の心の中には、基本的に「不信感」と「失敗する事への恐怖」があるらしい。
他にも、例えば親の育て方とかも原因として上っていたが、そんなことは今更言ってどうにかなる訳ではないので触れないことにする。

「不信感」と「失敗する事への恐怖」。
この二つが根底にあれば自然と積極的な行動とか他人とのコミュニケーションには無縁な性格になっていく。
そして、自分はこの二つの性格をしっかり抱えている。だからよく解る。

「不信感」を他人に対して抱くということは、実は他人が嫌いだという気持ちに由来する。それなのに他人に嫌われたくないから、自分の言動が下手をすると他人の嫌がるものになってしまうのではないか、と常に恐れる。そんな失敗を抱えていて、いつまでもコミュニケーションを取ることが出来ずにいる。

おっしゃるとおり。

例えば。ここでの日記では物凄く饒舌だが、日常生活ではあまりしゃべらない。自分から話しかけることはほぼ皆無である。
これはきっと、人に自分の話を聞いてもらえないんじゃないか、人は自分の話なんか、全く興味が無いんじゃないか、だとしたらそんなことに相手の時間を消費するのは酷いんじゃないか。といつも考えているからなのだろう。事実、それを全く思わない訳ではない。
ネットだったら、文字だったら、興味が無いと思えば読み飛ばせる。厭ならウィンドウを閉じてしまえばいい。
それなら相手に、そんなに精神的不安を与えることはない。そういった安心感が、自分を饒舌にさせる。
それは裏を返せば、日常生活では正に「不信感」を持ち続けている、という事の証明に他ならない。

何でそんなことを思ったりするんだろう?

自分の話なんか興味を持つはずがない、聞くはずがない、なんて何で思ったりするのだろう。

それは、心のソコでは他人を嫌っているからじゃないか?
自分に興味を持つはずがない、という判断は、自分も他人の話に興味がない、というところから来ているんじゃないのか。
いや、自分が嫌いなのは集合的な「人間」だ。個々の人は嫌いじゃない。と思う。そうであってほしい。

個々の人は嫌いじゃない、ということは本当に心から思っていることなのだろうか、それとも「そう思いたい、そう思わねばならない」という強迫観念なのだろうか。どちらが本当なのかは、もはやわからない。自分の中にある矛盾を、自分で証明することは出来ない。

どちらであったとしても、根っこにあるのは「失敗への恐怖」「嫌われる事への恐怖」だ。人間関係で失敗したくないから、嫌われたくないから。コミュニケーションで馬脚を現したくなくて、口に出して自分の意見を言う機会を減らす。嫌われたくないから「個々の人間は好きだ」なんて事を強迫的に思い込んだりする。

成功者はよく「失敗を恐れるな」と言う。果たして、失敗を恐れずにいられる社会がそこにあるだろうか?失敗を許容する人々がそこにいるだろうか?
この言葉を聞く度、そんなことばかり自問自答していた。

どうして失敗を恐れるようになったのか。
失敗したとき、責められたから。笑われたから。辱められたから。
そんな過去の経験を今でも引きずっているから、挑戦に対して(しかもある種の、というか、人間関係における挑戦に対して)足が竦むようになった。
実は昔から、自分はそんな失敗の嘲笑には耐えうる人間だと思っていた。人に何を言われようが気にしない、自分は自分。そう考えていた。今もそう思っている。
でも実際はしっかり受けていたのだ。嘲笑や非難という銃弾を。
「こんなのかすり傷さ、気にするな」というのは敵の銃弾に倒れたヒーローの常套句で、大抵の場合かすり傷どころか急所を貫く重傷だったりする。
ただ銃痕に目を向けなかっただけだ。歩いた後には、寂しい淋しい血液が黒ずんだ尾を長く引いている。
・夢の話は日記で頻発する。主に夢から構想(なんて大したものではないが)を得てます。


Date: 2006年02月02日 07:29

2006年は、7年ぶりに「うるう秒」が導入された。
うるう秒、というのはうるう年の秒ヴァージョンで、
1日が1秒長くなる。原子時計と地球の自転のズレを調整するためらしい。
今年のうるう秒導入は既に終わっていて、
それが1月1日だった。元日、8:59:59の次は9:00:00ではなくて、じつは8:59:60→9:00:00だった。のだ。

で、その瞬間、自分は何してたかというと。

寝てた…

起きていたら「9時になったら、どんどん1秒ずつ時計がずれていくゥ!」みたいな感覚を味わえたのに。
あけましておめでとう、の後、テレビ(妙なテンションの芸能人でいっぱい)をだらだら見てたら(今の部屋、テレビ無いし…)寝過ごしました。

あ、でも、なんかヘンな夢見た。
内容は、残念ながらよく覚えていない。

夢、昔は結構面白いの色々見ていたのだが最近はさっぱりだ。
一番最近見たヘンな夢は、グリーンピース程の大きさの、鉄の塊(塩味)を女の子と一緒にひたすら食べる夢だった。
なんで最近、夢を見ないのだろう…と考えてみると、
夢を見るほど、寝てない

ああそうか、寝なきゃ夢も見ないな。
あんまり寝ないのですっかり昼夜が逆転(寝てないから逆転もしてないか、でも昨日の昼は雨降ってて暗かったから寝た)
している。うるう日がほしい。
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プロフィール
HN:
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/11/25
職業:
自由人
自己紹介:
麒麟さんが好きです。
でも象さんはもっと好きです。

やっぱり麒麟さんが好きだ。
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