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・夢の話 その2。タイトルにセンスがまったく感じられない。


Date: 2006年06月16日 07:45

・母親が外科医となって、手術される夢を見た。
ちなみにどこを切ったかは覚えていない。親子だからそれくらいのインフォームド・コンセントはあった、と思うのだが。

手術室はとある建物の3階にあって、中に入ると大きく開いた天窓からの日光が気持ちよく室内に注がれている。インテリア・コーディネーターが、よくこんなリビングを持っている。トーンが白で統一されている所など特に。
広くて明るくて道具類もスタイリッシュ。「どこに寝んだよ!」と、緑のオバQみたいな格好をした自分が思わず叫ぶ。
部屋の奥に、メタリックな質感のサーフボードが床から突きだされている。これか。

麻酔がかけられる。バーベキューの串を1/3の細さにしたような針を刺されるとあっという間に四肢から力が抜けた。いや、力が抜けたというよりは体が勝手に「気をつけ」の姿勢になってしまった。
天窓から燦々と降り注ぐ朝の光を受けてメスが煌く。手術室によくあるホッケーリンクのような電灯はここには必要無いのだ。こんなモデルルームの一室で、メスはなんだか権威を失ってでもいるようだ。
細い管が体のあちこちに挿し込まれる。もともとこの人はこんな人だが、結構無遠慮にぐいぐいやっている。きっと麻酔が効いていると思っているのだろう。まだ意識はあるから違和感は全身に感じている。そこにも入れるのか?いていて・・・・・・



麻酔が切れるといつの間にか夜になっていた。部屋はだいぶ狭くなり、更に言うと自分のベッドに寝ていた。ベッドサイドの時計は1時38分を指して いる。雨が静かに地面を鳴らす。傷口はきっと見つからないだろうが、突っ込まれたカテーテルの痛みはリアルに残っている。本当に何かの手術をされたかもし れないが、考えるのはとりあえず諦めた。
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・結婚式は、そうだな、北欧か南の島か、とにかく誰もいないところでしたい。


Date: 2006年04月22日 08:22

・人は何故、結婚式を挙げたがるのだろう。

葬式についても同じ事が言えるのだけれど、葬式は色々と柵が有るだろうから取り敢えず置いておく。

結婚式。招く側は恥かしく(結婚後、年を追う毎にどんどん羞恥度は増す。要はイタい)、招かれる側はひたすら退屈(時として余興なんかもやらねばならない。地獄)、得をするのはウェディング・プランナーだけ、という世紀の狂宴。
結婚したら、必ず結婚式を挙げなければならない、という家訓かなにかがあるのだろうか。
ウチがそんな家訓が無い家だったことを幸せに感じる。確かに実家は恐ろしく狭いが、よい家庭に恵まれた。親に感謝したい。

それました。
そんな家訓が無くても、本人たちの趣味でやっちゃうのかもしれない。人は自分を、よく悪趣味だというけれど、結婚式を挙げたがる趣味よりは幾分マシな気がする。

でも、「よい結婚式」というのが100件に1件くらいの割合であるらしい。この前母が感激していた。
でも人は一生のうちで何件の結婚式に参加するのだろう。ある映画マニアの人がこんな事を言っていた。
「本当に良い映画は100本に1本も無い。だがその1本を探す為に100本を観る。」
よい結婚式は参加すれば感動するかもしれないが、行かないに越した事は無い。

幸い未だ結婚式に呼ばれた事は無い。これからもそうであってほしい。儚い望みかもしれないけれど。
先ほど少し口走ったが、葬式は大嫌いだ。人の葬式には絶対行かないし、母親が死んだとしたら、一族を敵に回しても葬式はしない心積りだ。
3日くらい前の地震の時も、「ついに立ち眩みならぬ坐り眩みをするようになったか」と思いました。


Date: 2006年04月21日 08:17

・ずっと、遠い所へ行っていた。
というのは嘘なのだけれど、精神的には遠くにあったような気がしてならない。


・昨日眠りに就く前に、目覚し時計を午前2時半あたりから30分ごとに設定した。
因みにその時の時間は午後8時半だったし、前日徹夜なのでこの時間設定は決して早くはない・・・やっぱ早いな。

案の定、30分ごとに起きて目覚ましを止めてまた寝る、という行為は5時半まで連続し、よく寝たという爽快感(9時間睡眠、考えただけで頭が痛く なる)、時間を無駄にした事への後悔(起きていた処で、どうせ実の有る事なんかしないだろう)、沢山の朝の細切れの記憶を抱えて、今に至る。


その中に、揺ら揺ら揺れる画面の記憶があった。
あれは、地震だろうか。
地震だとしたら、かなり震度の大きい地震だ、といっても実際は3とか4とかその程度に違いない、人間は敏感だから。

地震が起こると、先ず立ち眩みを疑う。揺れているのは自分の意識なのか?それとも地面か?
全く確信は出来ない。実家には電気の紐が有ったが、今の生活は空中からぶら下がっている紐の無い生活だ。
揺れる視界は暫く続く。頭蓋骨の中にブランコが出来て、脳を乗せているかのようだ。眩暈が終わると、地震があった事は全く信じられなくなる。
脳が上手くブランコを漕いでいるのかもしれない。震度もマグニチュードも、何か別の数値に感じる。色々な金属のヤング率を眺める小学生の気分だ。

寝ている間の地震の記憶でもう一つ。
ある朝、なぜだかわからないけれど目が覚めた。親子で寝ていたが全員起きていて、?マークを押し当てられたような顔を布団から首を出したまま見合った。
母親が言う。そこのタンス蹴らなかった?ガンガンいう音がしたのだけど。
首を横に振る。タンスは、ドロップキックでもかまさない限り蹴れない位置にあった。プロレスラーではないただの小学生、ヤング率の意味も単位もしらない子供だった。
まだ外が暗く、起きる時間では無かったので布団に潜りこんだ。

起きる時間。いつもの朝。いつもの目覚め。違ったのは、明け方の奇妙な出来事。
だけだと思ってテレビに目をやった。惨憺な状況の神戸の街を映し出す、いつもの朝の光を浴びたいつものテレビ。
・もう洗濯物が無くなっても判らない、気づかない。やばいな

 Date: 2006年04月11日 22:53

・風の強い日だった。

でも、とても晴れていたから、いつものように洗濯物を干した。

夜帰ってくると、疲れが一気に放出されるのか崩れ落ちるように眠ってしまう。
その日もそうだった。いつものことだから洗濯物は明朝取り込むことにして。

朝、開けると洗濯物は消えていた。
物干しロープの上は綺麗に片付いていて、突っ張り棒にハンガーで吊るしたワイシャツが視界を横切っては戻っていくばかりだった。

風で飛ばされたんだろうか。でもそれなら、ピンチで留めた洗濯物の前にハンガーが攫われていくはずだ。取り込んだのかもしれない。記憶は全くないけど。ピンチを数えてみよう。いや、最初の数を覚えていないから減ったかどうか解らないじゃあないか。

念のためベランダから身を乗り出して辺りを見回してみたがそれらしいものは何も見つからなかった。

これは数日前の出来事だ。自分の衣服の中で足りないものを調べれば済む・・・と思った。しかし実際、自分の服のストックなんてなかなかどうして把握していないものである。時間は流れ、取り込んだのかどうかは完全に解らなくなった。

服が無くなった、というはっきりした証拠は無い。でも何故だか、クローゼットを開けても何か足りない気が無性にする。どのシャツ、ではなくて、それはきっと名指し出来ないものだ。

人間の記憶、思い出、憧憬、そんなものだって朝カーテンを開けたらぽっかり消えているかもしれない。どんなに大切で、慈しんだものであろうとも。そして、無くしたかどうかも確信出来ぬまま、時間が過ぎる。次の洗濯。次の晴れた日。言い様の無い喪失感を残して。
記憶は綿や麻のように、肌を滑る確かな感覚はあるだろうか。思い出にはクローゼットがあるだろうか。現実はどうあれ、洗濯物は失われた。

風の強い日だった。よく晴れた空が、少しだけ恨めしかった。
・勉強と子供について。時たまこんな事を考える。結婚する気も当ても無い癖に。


Date: 2006年04月02日 01:17

・昨日はエイプリルフールだったのに、嘘を吐く人にひとりも逢わなかった。
と、思っているのは自分だけで、実は嘘をまるまる飲み込んで信用してしまっていたのかもしれない。
昨日大学の建物が新しくオープンしたが、あれも嘘なのか。昨日ハンズで返品したものの代金も嘘だったのか。
いや、やっぱり嘘なんて誰も吐いていない。いつも嘘を吐いているから、4月1日くらいは本当のことを言わないと採算が取れないんじゃないか。それは俺か。
真実が知りたい、俺は狂い始める。


・4月に入るとまず、今のバイトにあまり入れなくなってしまう。
そうすると収入は途絶える。散財モードは気軽に解除できないので、なんらかの方法で糊口をしのぐより他ない。
なので、気は乗らないが、家庭教師とかのバイト先を探し始めている。

塾講師のバイトを辞めた最大の理由は、給料が全く支払われないから、だったが、もう一つ大きな理由に「勉強を教える事がバカらしく思えてきた」がある。
これはひょっとしたら巧く言葉に出来ないかもしれない。
勉強のやり方、なんていうのは、人生を生きる上で何の役にも立たない事だと思っていたし、今は一層そう思っている。
学校の先生は、いやそんなことない、きっと何かの役に立つ、ともっともらしく言うかもしれない。
でもそれは、そうでも言わないと生徒が勉強してくれないからで、根拠はとてもあやふやだ。
予備校の有名教師が、勉強のテクニックを熱く語っているところを聞くと、人妻への叶わぬ恋へと一直線にひた走る青年のような、破壊の哲学というか、「失われるもの」を掴もうとする衝動、みたいなものを感じて、遠い目で傍観していた。

もし将来、結婚して、子供が出来るとする。子供に質問される。「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」
「確かに、勉強は人生で全く役に立たない。でも、役に立たないから、しちゃいけないって決まりは無いだろう?」

親は自分の経験からしか思想を語れないと思う。でも思っていることをそのまま口にしたら父親失格だ。子供は当分、結構です。

勉強する理由。生きている理由も解らないのに、そんなもの言えやしないよ。
でも、自分の行動、思考に一つずつ理由を付けなければならないなら、もうこの心地よい春の空気も吸えないだろう。
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