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・タイトルの元ネタの曲が好きです。えーと、それだけ。


Date: 2007年03月04日 23:32

・忙しかったからじゃ無いんだ。

・文が全く出てこなかったんだ。

・レポートで文章を出し尽くしたって?

・鼻で笑えるね。まったく。


・でも、今日見たのさ。高田馬場駅で。


・夕方、夥しい本が並べられていた。古本市だ。


・交番の近くでコエーリョや谷崎の背表紙を見つめていた。


・一人のオッサンがよたよたと交番に入って、


・「刑事殿!刑事殿!」と言いながら警官に卵のパックを渡していた。


・警官は表情一つ変えずに、何を言ったかは聞き取れなかったが、奥の部屋に10個パックを持っていった。


・それはもう、泥んこ遊びをした後のハイエナみたいなオッサンだった。


・彼はどこかに消えた。あたりはとっぷり暮れる。


・交番。警官は3人。1個余るね、あれは。



・そんな光景を目にしたら、急に日記が書きたくなった。


・「こんなところで・・・・・・ッ俺は・・・ッこんなところで死ぬのかッ!!
こんなところで一人ぼっちで死ぬのか・・・!!
嫌だ 嫌だッ!!
ひとりぼっちで生まれて・・・ひとりぼっちで死ぬのか・・・ッ
畜生[JESUS]・・・ッ」


・「ヴァンパイアと屍体」という本を読んでいる。
吸血鬼の伝承を、中世~近代ヨーロッパにおける埋葬の概念と方法から解析しようとする本だ。
その中には、埋葬方法に関する話題が頻繁に登場する。火葬。水葬。土葬。風葬。

人間の体の70%で水である。つまりかなり湿っている。従って完全に灰にするには多量の熱を要する。中世ヨーロッパでは、火葬はごく一部の貴族にしかなされなかった。日本は湿度が高いので最近まで土葬だった。
インドのある地方では死体の表面を焦がしてからガンジス川に流す。
ある所では砂漠に埋める。死体が腐らないように。ある所では湿地に埋めて上から水をかける。早く土に還るように。


火葬をすると肉体はこの世に戻ってこない。腐敗しない肉体は棺を叩き、土から浮かび上がるという。遺体の分解を確認してから2度目の埋葬をする所や、再び掘り返す慣習のある所もある。

家庭に埋葬する所もあるが、その想いは2つある。家に埋めると、死者が家を守ってくれる、というもの。もう一つは、死体を持ち上げたり触れたりする必要の無いように、床下にそのまま埋める、というもの。


ネアンデルタール人には既に埋葬の習慣があったらしい。埋葬には、敬意と恐怖、親切と嫌悪が渦巻いている。
感情は死者に対してであり、死体に対してであり、死に対してである。この3つは常に同時にそこにあるがゆえに、ばらばらにすることが出来ない。
そして、それらは完全に統合することが出来ない。なぜなら、もう生きていないから。


心臓が止まる。脳が活動を已める。その後も死体は変化を続け、様々な表情を見せる。
現代ではそうなる前に荼毘に付す。それは、うつろいゆく体、うつろいゆく死に終わりを持たせる行為なのかもしれない。
人は2回死ぬ。1度目は心停止と脳停止によって。2度目は埋葬によって。
1度目は生物学的に。2度目は文化的に。


1度目は漸次的に。2度目は永遠に。
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・つまらない内容だと思うが、不思議と好きだったりする。


Date: 2007年02月13日 23:36

・「どうせもらえないんだったら、自分で作って逆に配るのはどうだろう。」

と数年前から考えているのだが、通っている大学は決まってこの日の前後に試験をぶつけてくるので叶えた事は無い。



・自転車の後輪がパンクした。
よく見たらタイヤが擦り切れている。自分で替えてもいいけれど、後輪はギアとかあるし、寒くて手はかじかむしなあ。


と思ったのは去年の事だ。
それからずっと放置していて、その間鍵を挿しっぱなしにしてあったので盗まれかけたり(パンクしていたので数mで諦めたらしい。でも、鍵は投げ捨てられた)その鍵を必死に壊したり(中学の時の友人が、コレで・・・と言いながらマイナスドライバーを持っていたのを思い出し、記憶を頼りにやってみた。今思えば、なんてヤツだ)して、やっと自転車屋に修理に出した。

1時間くらいかかります、そうですか、ではその頃取りにきます、と言って商店街を15歩くらい歩くと後ろからおばさんが追いかけてきた。
よく見たらさっきの自転車屋のおばさんではないか。

おばさんの話は、うわの空で聞いていたのでディティールは掴めなかったが(おばさんの鼻毛がそれはもう気になって気になって)、どうやらもう後輪が外れるのも時間の問題、今直しても乗りにくい事この上ないから処分しちゃいなさい、との事。

実は盗まれかけた時に、直ぐ諦められた事にちょっとがっかりもした。そして、鍵だけ投げ捨てられた時には二重にがっかりした。どうせなら自転車ごと投げ捨ててくれよ、という言葉が、もし気管支が弛緩していたら口から出ていたかもしれない。
教訓。諦めるな。誰かががっかりする。


処分には1050円かかったが、後輪のタイヤを交換していたら3675円取られる所だったのでお金が浮いた。浮いたお金でカレーを食べに行ったら店主に拝まれたし(ピン札だったのです)、クラスの女子に(何年ぶりに使ったんだろうこの言葉)飲み会のお金を払うことも出来た(あれもピン札だったのだよ)。そうして東京中を走破した自転車と別れた。
・ものを捨てる話は、この前にも1回書いていて、更に遡ると高校時代に作文で書いた。定期的に心に現れる問題なのかもしれない。


Date: 2007年02月08日 18:01

・試験が近いから試験勉強をしているのだが、
やればやるほど、この学部全体に渦巻く「あー、試験とか適当でいいよ。面倒くさいから」な雰囲気をひしひしと感じる。
だから大掃除をしたりしながら適当に乗り切るつもりだ。

うちの寮はところてん方式というべきか、毎年の人の出入りに合わせて引っ越しが行われる。つまり1年に1回引っ越しをする。物を多く持っていると毎年恒例の引っ越しが面倒な事この上ないので、他の住民はそうでも無いらしいのだが、最低限の物しか持たないようにしている。所持品を全て合わせても、よく蜜柑を入れるのに使う様な段ボール8箱くらいで済みそうな気がする。

これはきっと永遠の謎だと思うのだけれど、1年生活していると物はびっくりするくらい溜まってくる。角砂糖を水に溶かすときれいになくなってしまうように、ある一カ所に物が溜まるというのは本来は自然の法則に反しているのだ。でもその不可解な現象があるお陰で、「棄てる」という素晴らしいストレス解消が出来るから目を瞑る事にしよう。

今日は「これから先、絶対に着ない服」を捨てた。明日は「いつか着るかも、と心のどこかで思っている服」を捨てるつもりだ。
最近はどこまで物を捨てられるか、という極限値を考える事が、試験勉強と見事に拮抗している。でも先に述べた様な風潮がこの学部にはある(と信じている)のでそれほど気にはならない。非競合的な拮抗というやつだ。

あとは本を1/4くらい捨てて(本を捨てる事は一番の軽量化につながる)カーベットを捨てて(今朝ごみ袋に入らなかったから切り刻まないと)「部屋の中でだったら着てもいい服」を半分くらい捨てて・・・
と、思いを巡らすのは楽しみからだけではなく、何を捨てるか意識させる為でもある。前に「アレをそろそろ捨てるか・・・」と思ってクロゼットの奥を探したが全く見つからない事があった。そうだ捨てたんだっけ、と思い出したのはさんざん引っ掻き回した後で、これよりも「骨折り損の草臥れ儲け」という言葉が似合う為には、本当に骨折しなければいけないんじゃないかと思った。

上京して3年。3回目の引っ越し。毎年こんな調子なので、捨てるものは減少の一途を辿っている。先に段ボール8箱分、と書いたがそれは上京時の荷物の量で、今はもっと減っている筈だ。そうなると憂鬱なのは荷物の移動より床掃除である。腕の筋肉をいじめてくれそうなシミがそこかしこにあって、汚れに立ち向かう為の新たな武器を実は結構前から探しているが難航している。こうなったらもう修行だと思って「もう!全然落ちないわ。」とかブツブツ言いながらゴシゴシ擦る事にしよう。「ヘイ!それならこれを使いなよ~」とアメリカンボーイがどこからともなく現われるかもしれない。
・では、首を持って出頭はどちらのケースか?そんなことは憶測の域を出ないだろうし興味も無い。


Date: 2006年11月08日 23:24

・月曜日はラットの解剖をした。
ちなみに今日は水曜日だ。ということは、今から話される事柄は全然新鮮な話題ではない。昔話に近い。


解剖の最中、バラバラ殺人の時の犯人の心理について思い出していた。
殺人犯が遺体を細切れにするのには2つ理由がある。被害者が憎くて憎くてたまらない。息の根を止めただけでは飽き足らず手を加える、という理由。もうひとつは、遺体の発見を遅らせたり、遺体を隠したりするためという現実的な理由である。

後者の場合に顕著なのが、遺体の切断が単なる作業に成り下がってしまう、ということだ。
普通の感覚でいくと、四肢を切断するなんて人間の心を持った者の所業ではない、鬼か悪魔に心を支配されてしまった末の行動だろう、と思われるが実はそうではない。しっかりとした理性、判断力を持ち、精神は夜の湖面のように凪いでいる。
まるで命を責め立てたときの狂おしい高ぶり、返り血を雪ぐ儀式のように。

という事を聞いた記憶が、内臓の摘出に真剣になる自分の冷静さに呼応するように浮き上がってきた。
寂静。
体内という、向かってはいけない奥行きに進んでいく両手とピンセットへの餞がこれなのだろうか。
違う。始まりは最初に彼の毛皮と皮膚にそっと鋏を当てたときだ。あの瞬間に何かが変わった。何かが流れた。
きっとその時にその体は生命、としての意味をなくしてしまったんじゃないだろうか。なんて陳腐な表現、でもそうだ。
確かに心臓は拍動を続ける。ピンセットの先に鮮血が滲む。足りないのは何だ。自分の部屋の掃除をするように、臓器を扱わせないでおくれ。躊躇いをくれ。
・呑めない癖に背伸びして居酒屋に行った時の話。また行きたい。ここには。


Date: 2006年10月15日 04:33

・服を買いに行ったが、絢爛な布地を前にして全くインスピレーションが沸かなかったので、浮いた金を持って居酒屋に行った。
どこのどんな居酒屋かは、残念ながらここで言う事はできない。
何故なら、「あんまりお客さんが来るとオレ、疲れちゃうから」人に教えないでくれとオジサンに釘を刺されてしまったからだ。

狭い店内に所狭しと並べられた焼酎の壜が客と店主を隔てる。JINRO、チャミスル、しまむらさき、そして自分の座った席の目の前には、偶然にも 自分と同じ名前の壜が控えていた。何かの縁かもしれない。まあ焼酎に使われそうな名前であるからそこまで霊感は感じなかったけれど。

縁。店主もそんなことを漏らしていた。と同時に「もう会う事は無いかもしれないけれど」とも言っていた。見知らぬ人と会っては別れて、を断続的に繰り返す経験があまり無いからその心を伺うことは出来ない。しかしそんなに一見さんのいる店では無さそうだ。
自転車でふらふらしているうちに着いたんですよ、という自分の言葉を受けての科白なのだろう。本当は住所をすっかり調べ上げ、多少迷いはしたが(住所しか知らなかったので)位置の目処はついていたし、どんな店かも知っていた。
そんな予習っぷりを隠したかったのは何故だろう。案外東京ってどこでも自転車で行けますよね、荒川沿いに行けばディズニーランドにも行けるんじゃ ない?いやいやそれは、遊ぶ気力無くなっちゃいます、だから折り畳み自転車なんじゃない、ああそうか!という会話をしているうちに、そんな事はどうでも良 くなってきた。


又来ます、と言ってぼんやりとした明かりを背中の向こうで閉じ、夜と現実の町に足をつけた。秋風が上気した顔に気持ちが良い。
本当に道も分からず此処にたどり着いたのだとしても、また足も運ぶだろう。ふらふらと。

折り畳み自転車欲しいなあ。
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