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「 ファシストの道具 」
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・では、首を持って出頭はどちらのケースか?そんなことは憶測の域を出ないだろうし興味も無い。


Date: 2006年11月08日 23:24

・月曜日はラットの解剖をした。
ちなみに今日は水曜日だ。ということは、今から話される事柄は全然新鮮な話題ではない。昔話に近い。


解剖の最中、バラバラ殺人の時の犯人の心理について思い出していた。
殺人犯が遺体を細切れにするのには2つ理由がある。被害者が憎くて憎くてたまらない。息の根を止めただけでは飽き足らず手を加える、という理由。もうひとつは、遺体の発見を遅らせたり、遺体を隠したりするためという現実的な理由である。

後者の場合に顕著なのが、遺体の切断が単なる作業に成り下がってしまう、ということだ。
普通の感覚でいくと、四肢を切断するなんて人間の心を持った者の所業ではない、鬼か悪魔に心を支配されてしまった末の行動だろう、と思われるが実はそうではない。しっかりとした理性、判断力を持ち、精神は夜の湖面のように凪いでいる。
まるで命を責め立てたときの狂おしい高ぶり、返り血を雪ぐ儀式のように。

という事を聞いた記憶が、内臓の摘出に真剣になる自分の冷静さに呼応するように浮き上がってきた。
寂静。
体内という、向かってはいけない奥行きに進んでいく両手とピンセットへの餞がこれなのだろうか。
違う。始まりは最初に彼の毛皮と皮膚にそっと鋏を当てたときだ。あの瞬間に何かが変わった。何かが流れた。
きっとその時にその体は生命、としての意味をなくしてしまったんじゃないだろうか。なんて陳腐な表現、でもそうだ。
確かに心臓は拍動を続ける。ピンセットの先に鮮血が滲む。足りないのは何だ。自分の部屋の掃除をするように、臓器を扱わせないでおくれ。躊躇いをくれ。
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