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・3個くらい前の記事で「ベティ・ブルー」のレヴューを書いたときに、そうやって人にものを紹介する類の事が下手すぎることに気づいたので、もうしない。


・「ゴッドファーザー」


・「ゴッドファーザーって、いろいろな所で名作って言われてるけど、どんな映画なのかな。」
という思いでここに迷い込む人が居るかもしれない。
それを見越して、映画の紹介は敢えて全くしない事にする。


・ゴッドファーザーには「式」が3回あって、どれもたっぷり時間が取られている。
どの回も式は延々と続き、最後の式以外は特にストーリーに於いて重要では無いものの、まったく無駄な所が無い。

余分なカットが無い。それはこの映画全体に言える事だ。
3時間近い上映時間で、1秒も無駄なシーンが無い。これこそ名作たる所以であろう。


・3回の式とは、一つ目が冒頭にあるドン・コルレオーネの娘コニーの結婚式。二つ目が逃亡先でのマイケルの結婚式。三つ目はラストの洗礼式である。
洗礼式は式自体よりもそれと並行して進むもう一つのシーンが極めて重要なので他の2つと少し違うが、どれをとっても見所のある式だと思う。

それに引き換え、現実での結婚式はどうだろうか。無駄だらけである。結婚式の98%は式そのものが無駄で、参加者は例外なく損ばかりをする。
噂では、本当にいい結婚式というものが微小な確率だがあるらしく、それに参加した人は感激に打ち震えて(自分が結婚した訳でもないのに)式場を後にするらしい。
尤も、噂でしか聞いた事が無い。都市伝説の一種なのかもしれない。


・「ゴッドファーザー」での結婚式が、見ていて苦痛でないのは何故か。
それは、式が茶番に成り下がっていないからである。
どうして茶番で無いのかというと、もちろんウェディングドレスやタキシードが似合う、というのもあるが、もっと重要なのは完全に「式化」されていない、という所ではないだろうか。
参加者が好き勝手に飲んで食べて騒いで、それぞれに楽しみ、そしてしばしば2人の門出を祝福する。
手紙なんて本人にこっそり渡せばいいし、ケーキは取り分ける必要が生じた時に勝手に切ればいい(というより、ケーキは食べるものだという正常な認識が通用しないのには驚きだ)。何よりも、自分の身の丈に合わない広い会場を借りる必要など全くないはずだ。


・人は何故結婚式を挙げたがるのだろうか。
もしかしたら、多くの人から同時に羨望の眼差しで見つめられ、注目を浴びる数少ない機会を無駄にしたくないという心理からなのかもしれない。
幼い頃から結構な目立ちたがり屋で通してきた自分だが、結婚式を挙げる事には断固反対である。
今までの経験から特に日本人は目立ちたがる人が少ないのに、相当な数の人が結婚式を挙げる。これが理解できない。
きっと、結婚式、と聞いてパッと頭に浮かぶタイプの結婚式はきわめて少数で、それがとかく目を引くものだから意識の中で増幅されてスタンダードだと思い込んでいるだけで、大部分の人は結婚式を挙げないか、こじんまりして感じの良いレストランかどこかで慎ましやかにパーティーを開いているのだろう。きっとそうだ。そう思いたい。



・「結婚するなら、どんな女性がいいですか?」

「そうですね、『結婚式なんて死んでも挙げたくないわ』って言う人がいいですね」
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宿題
・忘れて往く日常の全て


・葉月二日(木)

夜よりも朝の方が涼しく思えた。
日の光の降る中で眠る。
蛇口を捻ると水が熱い。

・葉月朔日(水)

夏の日は、殆ど日に焼けない多くの日と、
よく焼ける僅かな日から成っている。
だから夏が終わると、やっぱり日に焼けている。それがどんな夏でも。

・文月晦日(火)

海に行く予定が流れたので、海を想って泳いだ。
水中では息を吸いたい時に吸えないので辛くなってくる。
おまけに息継ぎはそれ自体がとても疲れる。人は水には生きれない。

・文月卅日(月)

西洋の貴族は夜会をするし、日本の貴族は夜這いをして、
裕かになると揃いも揃って夜を好むようになるのだろうか。
寿命の幾分の一かは眠らなければならず、眠りは十数時間毎に決まってやってくる。
昼と夜、夜と昼。

・文月廿九日(日)

雨が降って雷が鳴り、落ちた。
強い雨が降るたび、俄雨だろう、きっと夕立だ、と思い止むのを待つ。
突然の豪雨はいつも長くは続かない。そう思い込むのはなぜ?
そのうちに雨が止んだので深入りはしないでおいた。


・しまった。何もしていないのが、ばれる。
・書くこともないし、夢はちかぢか凄いものを見る予定なので、
日記を書いてみよう。一日にあったことをただ書けばいいのだ。簡単さ。


・文月廿三日(月)

バイトに行った。T田B場駅のS武S宿線は人多きこと雲霞のごとし、だった。
さすがに「人がゴミのようだ」とは言えない。
T田B場付近を散策しようと思ったが疲れて金も無かった。
15歳は生意気でなんでも知ったような口を利く。


・文月廿四日(火)

プール道具一式を置いて帰ってしまい、この陽気で醗酵しやしないかと焦心した。
太陽が眩しかったので5:34に起きた。
太陽がまぶしくて人を殺した男はなんて名前だったか。
マルセル・マルソーみたいな感じだった気がする。


・文月廿五日(水)

100%ジュースを久々に飲んで感動の余韻に浸っていたら零した。
紅茶のティーバッグをじっと眺めたら、あの糸は意外と複雑に畳まれていることに気付いた。
あれも機械でやってしまうのだろうか。なんだか人間が怖くなってきた。


・尺が足りないので遡ります


・文月廿二日(日)

「~させていただきます」と言おうとするとどうしても噛む。
だからこんな回りくどい敬語は金輪際使わない事に決めた。
この日は流石に最狂線も人が少なかった。


・文月廿一日(土)

とにかく外に出なかった。
リノリウムの床の汚れは、もんじゃ焼きの箆状の金属で擦ると良く落ちるらしい。
箆を床に押し付けて見る見る部屋が綺麗になっていく様子を思い浮かべる。
なんて素敵な光景なんでしょう。と含み笑いながら寝た。


・おお、これは簡単だ。
・夢は自由になれない。

臥し所の枕に浮かぶのは、蜷局を巻いた見えない願望か。

自由な世界とイメージを求めて檻の扉を開けようと、
行けども行けども牢獄は続く。


この前見た夢では、自分の部屋にパソコンが現れた。

しかも2台。
「こんな大きいの。机の上がいっぱいじゃないか。どうしてくれよう」とわざとらしく呟く自分。
夢では何故か、自分から抜け出たもう一人の自分、
冷静に空から俯瞰する自分が居るもので、
その時も窓の外から、だらしなく笑う自分を見ていた。


パソコンが欲しいのは事実だ。1台でいいが。


暑さの所為か、夢が歪んでいく。
生命を持ち、意思や願望に反抗する。
先日などは遂に、夢が入れ子構造になってしまった。
夢の中で小説を読んでいて、そのストーリーが本編を無視して滑っていく。

必死に本を読んでいた。現実では有り得ない程の力の入れようだ。
そうする事には訳がある。読んでいる小説が難解すぎるのである。
男か女かも解らない登場人物が次々と現れては、濁流のような言葉を次々とまくしたてる。狂ったオペラを理解する気が無いのか、小説を読む夢の目は上から下へと流速を速める。

そうしていたら体育の時間に遅れてしまった。


水泳の授業が終わり、更衣室の先の扉を開けると、
靴屋にいた。


棚に置かれたありとあらゆる靴は全て黒い。
薄暗い部屋は月の光だけが照らしているように蒼白く、靴たちは静かに生気を無くして眠っている。
棚の前には古めかしい、小振りのソファが置かれ、僕は見慣れぬ靴を履き、身動きもせず座っていた。
月日を経て落ち着いた木目、鰐革を模したカバーの刺繍を、靴ひもを結ぶでもなくじっと眺めるままでいたのは、後ろから男に抱きすくめられていたからだ。

僕の左耳の後ろには男の口が寄せられ、低い音で何かを囁いている。そのバスに似合わぬ華奢な腕は、いつの間に着せられたのか、この部屋の風景に相応しく仕立てられたダークスーツのジャケットに巻き付いている。
男の腕を振りほどきながら顔を上げる。靴はどれも横を向いて爪先から踵までを月光に晒している。



真っ暗な部屋で起きた。夏と梅雨の、寝汗をかいていた。
・アメリカ人学生が日本に来ていたので、数人でカラオケボックスに連れていった。
「日米カラオケ合戦」と誰かが評していたが、そんなに仰々しいものではない。

カラオケは日本の文化、という自負はあったものの、完敗を喫してしまった。
彼(24歳+ヒゲ)の歌う洋楽、ネイティブスピーカーの洋楽があの小宇宙での制空権を握り、観客はヒゲの歌うブリトニー・スピアーズにスタンディングオベーションを浴びせ、彼との間に聳える壁が崩れていくような、それでいて彼が光に似た速さで遠ざかっていくような、そんな空気がボックスを制圧している気がした。



後日、悔しかったので洋楽を久しぶりに聴き漁った。育ってきた環境が違うから、負けるのはしょうがない、などという歌謡曲じみた慰めは今は耳に入らない。洋楽にしか興味を持てないからである。今は。

そしてこの極東の地にまで滲み出している洋楽の海を渡るうち、航海者の多くが一度はたどり着く不思議な入り江に僕は乗り上げた。

その名をMichael Jacksonと云う。


マイケル。皆のマイケル。天下のマイケル。といえば、今や鼻だのネヴァーランドだのといったきな臭いキーワードのみが乱舞し、すっかり色物扱いされている印象を受けるが、彼の絶大なるカリスマ性の前ではその全てが霧消する。
マイケルのダンスは本当に凄いのだ。動きはナイフのように美しく鋭く、立ちこめる妖気は甘美でいて激しい。
人間の体が音に合わせて動くだけで、こんなにも多くの事を語るのか。あれでは体中の皮膚に経文を書き付けるより踊った方が早い。
天上天下唯我独尊、という言葉が、既に数千年もの昔に使われてしまった事が悔やまれる。



そして夜は更け、本来の目的からは外れて、黒も白もないステージとスポットライトに見入るのであった。
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