・書いている事が若干おかしいのは躁の副作用です。
Date: 2006年11月21日 00:31
・このごろずっと躁状態が続いている。
医学的に躁と言えるかどうかは医者では無いから解らないが、気分の異常な(まあ、もとが根暗だし)高揚というのは確かにある。
なんとなく急いている。息巻いている。生活に加速度を感じる。
充実しているといえば聞こえはいいだろう。焦燥を充足と勘違いしているだけかもしれない。錯覚したままのほうが良い事があるのではないか、とも思える。もしくは自ら勝ち得た充実なのか。
可能性ばかり提示する毎日には厭きた。可能性を挙げるのは現実や運命の十八番だ。それで運命は微笑んだか?
ドラえもんの電源スイッチは実は尻尾にあって、そこに製作者の残酷さを感じてしまう。ドラえもんの手は尻尾に届かないからだ。
訳の分からない模様が3Dになって浮かび上がってくる、という本と格闘していたときだ。幼い自分はこの悪魔めいた砂場に似た模様を知っていた。テレビの砂嵐。
あの砂の一粒はどこから現れてどこへ消えるのか。そもそも現れたり消えたりを繰り返すものなのだろうか。
タロットカードは愚者から始まる。運命は見届けられる。終わりは世界。完成と終末。一周するだけだ。
手を伸ばすことは出来ない。スイッチは切られることが無い。砂嵐が大地を照らす。
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