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「 文学 」
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・これは「今日中にやりたい事のリスト」ではなくて、「いつかはやりたい事、のうち、今日思いついたもの」です。


・夢日記をつける

・居酒屋にいって、飲まずにご飯を食べる

・おでんを作る

・トマトアチャールを作る

・安いパソコンを、Core 2 Duoでこの値段とかひょっとして呪われてるんじゃないだろうかこいつと怖気づいたり怪しんだりせずにぽーんと買う

・ひさびさに日記を更新する←できました
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5dc5c7f2.jpeg・訳有って、ここ数週間で膨大な量の事柄を記憶しなければならない事になった。試験を受けるのだ。



・学生の仕事といったら暗記である。見て覚える人、音読して覚える人、暗記の方法は様々あるが、自分の場合は「書く」という作業が暗記のための作業であり続けている。
ただ本を読んでいるだけでは寝てしまうし、音読するのは恥ずかしい。赤い文字を赤フィルターで隠して、というのも暗記の常套手段だが、頑張って目を凝らすとうっすら見えてしまうのが難点である。ひとたび意識し始めると目を凝らす必要さえなく文字が浮かび上がってくるから不思議だ。
だから書く。ひたすら書く。目で読み取った情報をそのまま別の紙に写す。書いているのは後で見返す為ではないから、関係のない情報を箇条書きで羅列する。アンダーラインを引くのも、今ここで下線を引いて強調しているという事を意識の襞に刻み付ける為だ。
2週間でボールペンを3本使い切る。昔何かの雑誌で、ボールペンで直線を引き続けたら、インクが無くなるまで引ける線の長さは約1kmだった、という記事を読んだような気がする。ボールペン3本分でどこまで行けるか。自分の実家から、通っていた高校までの距離に相当した。自転車で毎朝15分とかけずに登校していた。

・いつか高校の英語教師が言っていた。書け。紙でなく、脳細胞に書け。脳はまるで豆腐のようだが、それはほとんどがグリア細胞というものから成っていて、これは脂肪のようなものであるから柔らかい。そこに書く事は一筋縄ではいかないので何回も書く。時々見返して、捨てる。再び書く。同じ事も書く。20歳を過ぎて死に向かう脳細胞の代わりに、B5の紙が分裂をはじめる。

・図書館の一室で書いていると、どこまでも行けそうな気がする。体はここから動かす事はない。しかし紙の上の端から、左から右へ、時には上から下へ線を引き、下の端までインクで染みをつけ、裏返して同じ事を繰り返すと、もうお終いだ。次の紙に移るしかない。ペンが移動するのは僅かに数十センチ。自分がハムスターになって、終日回し車を回しているみたいだ。この部屋の天井は高く、はるか向こうに本の背表紙の金文字が光る。

・ケルアックのように、どこまでも続く紙に書く事にした。トレーシングペーパーという、聞くだにヴィヴィッドな物は見つからなかったのでファクスの感熱紙を買ってきた。今ファクスを使う人はどのくらい居るのだろう、なかなか心躍らせる機械だと思うのだが、あれは。しかし問題点があって、試験まであと2日強しか無いという事である。気付くのが遅すぎた。4日前くらいにこの発想には思い至ったのだが、ファクスの感熱紙がロール状だという事にはゆめゆめ思い当たらなかった。今日ペットボトルの緑茶を手に取り、そのまま生活用品のスペースに足を踏み入れるまでは。ようやくペットボトルの飲み物を部屋で常飲しようと思った頃だ。
春がやってきたと思う。
・「腐女子彼女」ぺんたぶ

3ページだけ読んだ。

そこまでのあらすじは、「憧れの彼女が実は腐女子でディープなオタクでそれはそれはもう困っちゃう!」というものだったが、上記の言葉尻から窺える様に、明らかに筆者は「困る」事に楽しんでいるのである。なんだぜんぜん困ってないじゃないか、あんた。きっとこんな調子で何百ページも続いていくのだろう、それは筆者がマゾヒストだから為せた業なのである。これがもしサディストだったら、キモイ事言ってんじゃねー、ばーんと殴っておしまい、である。何の文学もそこには生まれない。文学を生まない人は、僕は好きになれない。


・「要説・世界の法思想」千葉正士

30ページくらい読んだ。

そこまでのあらすじは、「戦後の日本における法思想の研究は西洋の法思想研究を基にしているが、なんでもかんでも西洋が絶対、っていうのはよくない。だって日本にもアフリカにもインドにも法律あるじゃないの」というものだったような。よく覚えていない。何でこの本を手に取ったのか。きっと表紙が黄色かった事と、法律はなんらかの思想を基に作られている、という事を最近知って、いや法律とか憲法とか作る時って、自分のそれまでの考えとか思いとかが赤裸々になるからちょっと恥ずかしいんだろうなー、しかも国民全員に対して開いちゃうわけでしょ?とかいろいろ妄想したからだ。戦後まもない頃、日本国憲法を作った人たちはどうだったのだろう。頬を赤らめながら会議を重ねていったのだろうか。想像するとちょっと不気味だが、ぜひそうあってほしい。



・「ロウフィールド館の惨劇」レンデル

全部読んだ。
言いたい事はたくさんあるから別の機会にまわす。買った文庫の背表紙には首吊り縄のマークがあった。レンデルの作品はみんなそうだった。この人のトレードマークなのか、なんて不吉な、と思ったが背中側の見返しにマークの説明がしてあって、その出版社のシリーズではミステリー作品には全てこの首吊り縄のマークがつくそうだ。ミステリーで首吊りが出てくる事は、あんまりない気がする。



・「愛は血を流して横たわる」クリスピン

全部読んだ。
題名がかっこいい。英語の題名がこれまた最高にいかしている。Love Lies Bleeding.ミステリーの題名にはクールなものが多い。次は「九人と死で十人だ」にしたい。内容はドロドロの愛憎劇と思いきや違った。でもあまり気にしてない。題名が良かったので。


・読む
天人五衰
えーと、
なんだっけ
んー
あれだ
名前がでてこない
黒い夏
ほら、今日買ったじゃん、あれだよあれ
路上
、、、、、、
王妃マルゴ
マルゴ、だっけ?
5冊買った。マルゴが上下。そして路上。あと2冊。
上下セットだったはず・・・・
ちがった。
「私が愛したリヴォルバー」
と、その次のシリーズのやつ。
冷血
こんなに読めるのか?
・口笛の周波数は高く、人間や生物や植物や自然が出す殆どの音と違う。
その為口笛はそれらの音と干渉する事なく伝播するので、口笛は遠くまで聞こえる。


よし。これでいつアルプスの少女が孫になっても不安は無い。
別に雲は人を待っているわけじゃないと思うし。



・「昔ギリシャのイカロスは・・・」の歌の話題になった、なんでも音楽の教科書に載ってるらしかったが、何の事だか分からなかった。
イカロスといえばギリシャ神話に出てくる、人工の翼で空を飛んで太陽に近づきすぎ、羽を留めていた蝋が融けて墜死したイカロスだ。
あまりメインキャラではないと思うのだがやたら知られている。父親のダイダロスの方が他キャラとの絡みも多く、話への貢献度は息子の比ではない。どこに差が生まれたのだろう。


件の歌、1番の歌詞はこうだ。
「昔ギリシャのイカロスは/蝋で固めた鳥の羽/両手に持って飛び立った/雲より高くまだ遠く/勇気一つをともにして」

勇気。
まるでイカロスは勇気を出して飛び立ったかのようだ。
ないない。そういう話ではないぞ。
ダイダロスが翼を作ったのは、ミノス王によって自分と共に囚われの身となった息子を逃がす為で、脱獄には確かに勇気が必要なのかもしれない。
しかしイカロスが「雲より高く」飛んだのは、単に空を飛べたのが嬉しかったからだ。調子に乗っていただけなのだ。

他にもイカロスを題材にしたものには、イカロスと勇気を結びつけるものが目立つ。
たとえ無駄な事と分かっていても驀地に進む勇気・・・
もしくは、行きたくても決して辿りつけない処(太陽)へ、それでも向かってゆく・・・
そうした話は美しい。件の歌は憂いを帯びたメロディと相俟って、蝋細工の様に美しい。

イカロスは若かった。若くて向こう見ずだった。
何も目指さず何処へも進まなかった。愉しみだけを光の様に浴びて堕ちた。
人は若さだとか純真とか、果ては放埓といったものまでも、
蝋で塗り固めて美しく見せようとする。
そんなものは太陽の下で融けてしまえばいい。
・酒を飲んでいる訳でも無いのに、パンツについて熱く語ろうと思う。
そして私は新世界の神となろう。

なんだねその目は。神を意味する英語Godが何故大文字から始まるか知っているのかね?
何故なら!孤高の存在だからだ。神に連れなど不要!



・初まりはブリーフ。それはやがてトランクスへと変わる。これは何か。

ギリシア神話、スフィンクスがオイディプスにかけた謎は、
「時に二本足、時に三本足、時に四本足の生き物は何か?」であったが、
上記もそれに通じるものがある。答えは人間の男だ。
ほとんどの男がトランクスに進化し、多くの男の進化はそこで止まる。

いや、多く、と書いたが本当にトランクスが多数派なのだろうか。
嗚呼、俺は何を話しているのでしょう。不意に正気に戻る午前4時よ。

以下トランクスが多数派として議論を進めることにして、
この橡は完全にアンチ・トランクス流派である。
多数派をことさらに否定して優越感を得ようとする輩が特に夏は蔓延する傾向にあり、
そういう姿勢はあまり美しくないといつも心に決めているのだが、
まあ本当に美しい心のある住人は声高にパンツの話などしないだろうし、
ここは多数派だろうが何だろうがトランクスに辛辣なる批判を呉れてやる。


トランクスは唯の布である。
衣服というものは、体の中心部に向かうにつれて密着度が増していくべきだと思う。
一般的なジーンズよりも体への結合力の緩いものは下着とは呼べない。
ゆえに許されない、トランクスという存在は!



・しかし、かく言う橡も十数年前は、トランクスを希求し、これを愛用する小学五年生だった。
今では人が変わったようにボクサーブリーフにしか目を向けなくなってしまったが。

この年齢になると急に、ブリーフなどというものには恥辱と俗悪さしか感じられなくなってしまう。
何故かは解らないが、ブリーフを履く事がたまらなく厭になり、
箪笥を抽いてもブリーフしか待っていない状況に怒る。

思うに、これはだんだん自分の着ているもの、履いているもの、
そしてそれを纏う自分に意識と疑問とを投げかける、そう、
あの七面倒な「思春期」の萌芽ではないだろうか。
理由なんていらない。この押し付けられたもの全てを跳ね返したい。
密着感のまったく無い下着を穿いて、少年は初めて束縛から逃れられたつもりでいる。



・人、生まれし時は手足で這い、
やがて立ち上がり、歩き、
老いて杖をつく。

謎かけに正解したオイディプスは、答えの通りにはならなかった。
運命に絶望した彼は盲となり、娘に両手を引かれて歩いた。
四本足に戻ったのだ。

いつかトランクスに憧れた少年は、もういない。
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