・って、きっとこんな感じに近いのではないか、と思うことがある。
こうやって文を書いたり、人にものを話したり、つまりは何か言葉を作っている時だ。
自分の思い描いている円から、言葉がどんどん外れていってしまう感覚だ。
ブランコに乗っていて、スピードを速めようとする時、小さい頃から訳も解らず下向きに力を入れていく。振動は速く大きくなる。調子に乗って更に力を込める。ブランコは更に大きく振れ、鎖を持っているのが精一杯だ。それでも尚乗り続けて、ブランコは水平近くに達し、自分では何も制御できず、この状況から逃げる唯一の方法は手を離す事だが、そうすると今感じているのと同じ速度で自分が前に投げ出されてしまうことを直感的に感じて、ただ手が白くなるほど、鉄臭さが移るほどに強く鎖を握るしかできない。そんな時の、あっどうしよう、どうしようもない、という傍観者じみた焦りを、言葉を生む時にいつも感じている。
母親は産んだ子供の成長した姿を見るには何十年も待たねばならないが、言葉は発したその瞬間に成長し、行動を始める。野原にぽん、と投げ出した瞬間に膨らむテントのようだ。テントはテントになったらもう動くことはないけれど、風が吹くと荒野の枯れ草のように流れる。言葉を作ることは、嵐の夜のキャンプ場に似ていた。
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