・携帯ひとつにこんなに苛立つとは、なんとわかりやすい病だろう。
今日、とある雑誌(みんな大好きな○25だよ!)を読んでいて、ページを捲る度に繰り広げられる重箱の隅をつつくようなアダルティというか、はっきり言ってしまえば小オヤジ臭さに、なんで今週に限ってこれをもらってきてしまったのかと数分間に亘って憤りを感じた。
怒りも喉元を過ぎたあたりで、ふと考える。
この雑誌が無かったら、この怒りも無かったのだ。
1軒目のコンビニでは完売(完配?)されていたので、
これを待っている人、求める人、手にする人、がいる。
その人には充足を生み、私には苛立ちを生んだ。
この前置きにはそれほど意味なんて無くて、
別にアンチ○25を表明したい訳ではない。
そんなことが携帯にもいえるよね、っていう事が言いたかっただけなんです、ごめんなさい編集の人。
携帯電話が無かった時代は、当然携帯に苛立つ人なんていなかった。
しかし現在、携帯は多くの人の心をささくれ立たせているのではないだろうか。
それが原因で環境までぎくしゃくしたりするとしたら、
一体、便利さを作り出したのか、苛立ちを作り出したのか、判らなくなってしまう。
今使っている、最近替えた携帯、最近といっても気づいたら機種変更から半年経っていた、そんな携帯に抱く不満を性格悪くあげつらっていこう。
・メールの検索ができない
・カメラにオートフォーカス機能がない
・なんだかんだで、時刻がだんだんずれていく
一番目は実はよく使う機能だ。件数が多くなると、ソート機能はまったく役に立たない。二番目が無いと、画素数が高くてもあまり意味がない。
そして一番腹立たしいのが三番目だ。
なぜなら、電波の受信によって時刻を合わせる方法を調べていたおかげで、天使の涙のように貴重な睡眠時間を削られてしまったからである。
機種変更する前の携帯は3年以上使い続けていたものだが、上の3つの機能は全部備わっていた。つまり3,4年前の携帯より、基本的な機能の面で劣っている。
電化製品にとって、3,4年といえば悠久の時に近い。
その間、この会社は何をやっていたのか。寝てたのか。
・最近、数十年前の近未来SF作品を読んでいて気付いた事がある。それは、そこで描かれる架空の未来には、携帯電話が出てこない事だ。
例を挙げると「ドラえもん」で、22世紀にはタイムマシンをはじめとする数多の夢のような機械、ひみつ道具が出てくるのに、携帯電話のような道具はまったく出てこない。
これは、そのころの時代の人が想像力の限りを尽くして未来の世界を描いたが、携帯電話は予想できなかった、ということを意味するだろう。
予測できなかった道具が当たり前のように席巻する時代には、
予測できなかった怒りや憎しみもまた、浸潤している。
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