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「 その男 」
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・目の前に座っていた男は、血走った目で車内を嘗め回していた。


その視線の動き、凡そ人間には聞き取れない音で何かを囁き続けるその口元が、手にした本のページに並ぶ小さな文字の向こうに見えた。
それでも文字の百鬼夜行を辿っていると、不意に衝撃を感じて現世に引き戻された。

男が持っていた傘の柄から手を離したのだ。傘は不思議な力で前に倒れ、衝撃は傘の柄が大腿部に当たったものであるらしかった。
本を2センチほど手前に引いて男を見つめる。
男は、今初めてそこに人間がいる事に気付いたかのようにこちらを見上げた。
そして男は、謝る代わりに自分の頭の上にある本の背を凝視した。血走る目を更に瞠って。

その時読んでいた本はベケットの「マロウンは死ぬ」だった。
男の視線のブラウン運動が止まる。
もしかしたら、この男がマロウンなのかもしれない。
ちょっと待て。まだ死ぬところまで話が行っていない。


暗闇をひた走る列車は終着駅に着いた。
男は初めて聞き取れる声を上げて席から立ち、出口へと向かった。
終着駅。全員が降車し、全員が乗車する駅だ。
雑踏に飲まれるうち、男を追い越したのか、
彼がどこに行ったかを、僕は知らない。
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