・のっけから意味不明な言葉を使って申し訳ないが、昨日今日の悩みは「TeXからPDFを作成した時の和文フォントが気にくわないが変え方が解らない」というものだ。
もっと言うと「dvipdfmxを使ってPDFにする時だけフォントを埋め込めるようにしたい」または「Ryuminに対応するフォントを変更したい」か。
今は便利な世の中で、かぎ括弧内の言葉を適当に並べて検索すると、こんな特定の悩みもすぐに共有できる。コンピュータすごい。人間はどんどんアホになるんじゃないか。
しかし、検索結果をいろいろ見ていくとどうもそんなファイルは見当たらないとか、いや自分マックユーザーじゃないしとか、どれも惜しい所で的外れで、真に個人的な悩みはGoogle先生でも解決はしてくれないのであった。というわけでまだまだ考える余地はあるので、人間はアホになってる暇はないことがわかった。めでたしめでたし。
・中学の英語の問題の突拍子のなさは人知を越えていて、だから日本の英語学習は実用的でないという批判をよく受けるのかもしれないが、ここは逆に考えて、新感覚的な詩みたいなものだと思えば、その発想の芸術は爆発だっぷりに感動できるかもしれない。すくなくとも一昨日自分は感動した。認識で世界はある程度変えられるものなのだ。
例えば、以下の日本語を英語に書き換えなさいと言われても、ちょっと待ってよく例文を味わってみる。
・彼は昨日の夜宿題をした。
・あなたのおじさんは先週京都にいましたか。
・私は20年前にこの歌を歌った。
・彼女は昨日新しい家を買いましたか。
前半は普通の中学生の日常なのに、後半のセレブリティさ具合はどうだろう。家を買ったかどうかなんて一般市民にはさらっと聞けないぞ。
いちばんセンスを感じたのが次の文。芸術とは、受け手に想像力を与えるものだと思う。
・この本はロシアで手に入れたのですか。
危ない香りがするのは気のせいだろうか。
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