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「 lifehack 」
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・ちょっと自分の事を話させてもらうと、実は大学で生物系の研究みたいな事をしていて、何か生物系の研究する人って概して研究に費やす時間が長めなのは何でだろう、と思っている。
単なる印象だし、他の分野の研究やってる人にそうたくさんは話を聞いたわけじゃないし、それよりなにより世の中にはありとあらゆる性質の人がいるので、そう簡単に一般化する事はできない。だから自分の事だけ話すようにしよう。

自分は研究に費やす時間が長い。相対的に長いのではなくて、自分で「うーん、ちょっとやりすぎかなあ」と思うから長いんだと思う。
ただ研究に費やす時間、というと曖昧だから、「研究室にいる時間」とはっきり決めてしまおう。
どうしてこれが長くなるのかというと、

・つい欲張ってあれもこれもやってしまう

・遊んでばかりいる

からだ。


特に後者は、しゃきしゃき動いて仕事を片付ければいいものを、遊んだり、惚けてみたり、お菓子を食べたり、ブログを書いたりしているから遅くなる事は明確だ。

よくある「残業しない方法」みたいな本を読むと、そういった無駄を切り詰めて仕事の効率を上げ、さっさと帰る簡単な方法が列挙されていて、なんだか自分もすぐできるような気になってしまう。
しかし、実際しゃきしゃき働いてみると疲れてしまって続かない。

効率を上げる、という事が、今の社会では凄く良い事だと捉えられていて、非効率という事は、それだけで逮捕されそうなほど悪い響きを持って人々の耳に入るのだが、効率が良いという事による不利益というのはある。疲れるという事だ。
「疲れるのは、仕事をずっと続けているからだ。メリハリをつけてやれば疲れない」という意見もある。しかしメリハリをつけて仕事をする事が、のんびり仕事をするより疲労が少ないという事はないと思う。
昔陸上をやっていたのでそこから譬えをもってくると、高校の部活ではサーキットトレーニングというものをよくしていた。
これは例えば最初の1kmを全力で走って、次の1kmは歩くようなスピードでゆっくり走り、また次の1kmは猛ダッシュする・・・という事を何度も繰り返すトレーニングである。
メリハリ、という言葉を聞くとき、この練習の事をよく思い出す。なぜ思い出すかというと、もの凄く辛いからだ。1kmが競技場のトラック半周、つまり200mになっても辛い。ジョギングしていてスタートラインに戻ってくるとその度に泣きそうになる。
メリハリのある生活も考え物である。


・ここまで書いて、何てダメな事を力説してるんだろう俺は、と悲しくなってきた。しかしその一方で、社会(うすぼんやりした存在だ)は何かと効率を上げよう、上げようと必死になりすぎていて、それに少し興醒めしてもいる。メリハリのある生活、効率よく次々と仕事を片付けていく生活は、充実感を与えてくれるかもしれない。でもただの「疲労感」を、無理やりに、時には無意識のうちに、充実感だと解釈してしまう事がないだろうか。少なくとも自分にはよくある。

忙しさにかまけていると見落としてしまうものが多いとか、のんびり歩いた方が遠くまで見渡せるとか、そういう利益にまつわるからではなくて、ただ楽しくやっていければそれでいい、という甘い気持ちを窘められはするけれど、生活が嫌になる事はあまりない。
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