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「 キューティーπ 」
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・またベタなタイトルだな。


Date: 2006年07月24日 00:10

・絵本に心を打たれることがある。横隔膜のある辺りにできた池に、葉っぱがその露をはらりと落としてゆくような、静謐に満ちた感慨。

実際、横隔膜の辺りに水が溜まったら大変な事なのですぐに医者に行ってください。

今日読んだのは「ぼくを探して」という本で、あらすじはこうだ。
主人公の丸っこい物体は、自分のかけらを探している。体の一部が欠けているので上手く転がって進むことは出来ないけれど、カブト虫を追い越したり蝶に泊られたり、歌を歌ったりしながらゆっくりと探してゆく。
途中、いくつものかけらに会うが、形が合わなかったり、「君のかけらじゃないよ」と言ってみんな去ってしまう。しかしとうとうぴたりと合うかけらに出会えた。
嬉しさに心は躍り、完全な形となった物体は速いスピードで転がる。でもその速さはもはやカブト虫も蝶も止まって、話しかけてはくれない程に成ってしまった。歌を口ずさんでも上手く歌えず、違和感は募るばかり。
とうとう物体はかけらと別れる決意をする。かけらをなくした物体は進むのがやっとだが、また蝶が止まってくれた。カブト虫も話しかけてくる。歌の軽快なリズムに乗って、またかけらを探しにゆく。


自分のかけらを探すあたりは、男と女はもとは一体であったが神がそれを切り離してしまった為、人間は失われた半身を求める存在となった、という話 に似ている。(プラトン、饗宴)自分の空隙を満たす何かを、長い道のりで見つけてしまったとき、ぴたりと孔が塞がることに何を感じるだろう。充足感か。閉 塞感か。
こういう考え方もある。クレバスは無限の深さを持っている。だから何をいくら投げ込もうとも、決して満たされはしない。
いや、それはない。誰にでも完全になる瞬間はある。だが、その状態を保っていられないのだ。
「いいものが、いつもいいとは限らない。」これは2年程前から、3日に一遍は必ず自分に言い聞かせる箴言である。でないと、決して「いい」人間で は無い自分に、生きる隙間がもたらされないからだという後ろ向きな考えからの言葉だったが、強ち自分だけに言える事でも無いらしい。

完全な円でいられたら、転がるのはどんなに楽だろう、と考える。この絵本の置いてある所の近くに円周率のポスターがあった。アラビヤ数字は絶え間なく並び、果てしなく続く。掴めないかけらと、割り切れない無理数、生きることはもどかしい。
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