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「 きみを探しに ぼくを見つけに 」
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・いやあ、ほんとに良い子なんですよ、しずかちゃん。


Date: 2007年04月22日 11:17

・先日すり潰したマウスの脳は、5種類くらいの溶液で抽出・分離されて零下20℃で眠っている。話は「ドラえもん[恋愛編]」を買ったという所からリスタートする。



・この本は恋愛に関わるドラえもんのエピソードを綴るというコンセプトの下、21編が収録されている。「のび太・しずか編」15編、「のび太のパパ・ママ編」2編、「ドラえもん編」4編から構成されている。


ドラえもんの話の常套として、「のび太が困る」→「青狸に泣きつく」→「22世紀の道具」→「ちょっとの間はうまくいくけど、最後は全てが台無しになって終わり」というフレームがある。全体の95%くらいはこの通りに話が進むのではないだろうか。
そこに恋愛が絡もうが(ドラえもんの世界で恋愛というのも一種おかしな話だ)このフレームがブレる事はあまりない。例外を挙げるとしたら「のび太の結婚前夜」くらいだろう。尤も、この話も最後はしっかりオチていて、ただの感動譚になっていない処が素晴らしい。


それにしても22世紀のひみつ道具は反則的だ。こんなものが普通に流通し、ただの居候のロボットにも買えてしまうほど民衆に普及していてよいのだろうか。この年でこのマンガを読むと、あの世界のユートピア性ばかりが目について手放しで羨ましがれなくなってしまう。

例えば「のび太のおよめさん」の冒頭では、のび太が(小学4年にしては殊勝なことに)こんな不安を口にする。


のび「もしも、ぼくにだけおよめさんのきてがなかったら、どうしよう。」
ドラ「おい、本気でそんな心配してるの?」


いやこれ最近頻繁に思うんですよ。もう社会が当分広がらないような気がして、そんな所で相手は見つかるのか?とか。しまったこれは個人的な話だった。
とまあ、のび太の結構普遍性のある悩みに対して、ドラえもんが出した解答はこうだ。


ドラ「そんなに気になるなら、みにいってきたら?」
のび「みにいくって・・・・・・、なにを?」
のび「えっ、タイムマシンでぼくのおよめさんを?」


それができないから皆悩むんだろうが。嘗めるな青狸。でもこのマンガではこんな会話は自然に聞こえるから不思議だ。まあ机の抽斗がタイムマシンになっているくらいだからな。
でも本当に未来の伴侶を確かめに行けるとして、見に行きたいと思うだろうか。ドラえもんにおける時間移動と運命決定論についてはまたの機会にまわすことにしたい。長くなるから。


タイムマシンとは違うが、未来の恋人を見ることの出来る機械(ほんと、中高生の男子群が考えそうなどうしようもない機械だ)が出てくる話もある。
スネ夫から学校一の美人と、大人になったら結婚するという話を聞かされたのび太。ませた発言とするスネ夫をジャイアンと一緒に茶化す(この構図はなかなかレアだと思う)が、「人生にはそれくらいの計画性がないとだめなんだよな。」と見事に反駁されてしまう。影響されやすいのび太(まるで自分を見ているかのようだ)は、家に帰るとすぐにドラえもんに注文をする。


のび「ぼくの身のまわりで、これから・・・・・・二十五歳くらいまでの間にあらわれる女の子を全部知りたいんだけど、そんな機械ない?」
ドラ「かわったちゅうもんだなあ。」


これはちょっといいぞ。あと4年後までなら知りたい気もする。
ところで、22世紀の科学力は時空一なので、こんな都合のいい機械は当然存在する。将来知り合う女性の写真が様々なデータと共に打ち出される「ガールフレンドカタログメーカー」を取り出すドラえもん。「のび太のおよめさん」で実際に見てきたように、のび太は将来しずかちゃんと結婚するはずなので、当然ドラえもんは不思議がる。


ドラ「タイムマシンで見てきたろ。」
のび「だって未来は、かわることもあるんだろ。」
のび「結婚は一生のことだからね。あとからちがう子を知ることだってあるし・・・・」


「未来は変わることもある」って何かダメ男のいいわけっぽくてさすがのび太といった感じだが、「あとから違う子を知る事もあるかも」とは確かに思うこともある。思考レベルがのび太に近いことに少しショックを受けた。

でてきたリストの中から特に好みの2人をピックアップし、その子を早速見に行くのび太だが、2人目の子から「遅刻記録、立たされ記録」でほかの学校にまで有名だと聞かされ、ジャイアンとスネ夫に「ぼくのいいひょうばんをながして」と頼み込む。それに対する2人の返答は、なかなか教示的で読む目を思わず止めてしまった。


ジャイ「おまえ、そこがずうずうしいってんだよ」
スネ「自分がどんな男か考えてみろ。」
ジャイ「頭も悪い、顔も悪い、スポーツもなんにもできない。よりごのみできる身分か。」

ジャイ&スネ「「もし、おまえでもいいからよめになってやるという人がいたら、ありがたくきていただくべきだぞ、女でさえあれば。」」


その後しずかちゃんに「うわきしてごめんなさい」と謎の土下座をするのび太だが、ここまで言われるのは彼くらいなものだ。
逆にいえば、普通はここまで言われる事は無いからのび太のように目が覚めぬまま過ちを塗り重ねている事が十分にありうる。


のび太がドラえもんにすがるとき。それはジャイアンやスネ夫やママという外からの圧力だけにその理由があるのではない。
しずかちゃんが出来杉とばかり仲良くしてて自分は嫌われるのではないか、あのまま出来杉と結婚するのではないだろうか、こんなできの悪い、いつも0点ばかりとっている自分は、しずかちゃんとは釣り合わないだろう、自分と一緒になったら、しずかちゃんは必ずや不幸になる・・・という内なる懊悩に、つねに取り憑かれている。
それは、一見万能に見えるひみつ道具をもってしても、結局は解決できない問題だ。なぜなら、外に対して何をどう働きかけようと、そこに原因は無いからである。
そんな一人芝居は、コマ割りの向こうから眺めれば滑稽だが、時々その中に、自分の似姿を拾う事がある。細かい網にもがく自分を。ぼくらはみんな病んでいる。
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